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ヴィーテ・イタリア高岡(Hiruccio)のイタリアワイン&主夫日記

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2008/03/08
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テーマ:主夫と生活(268)
カテゴリ:映画と読書
ほんがら

皮肉な話ですが東京の友人から


「近江八幡の島町の記録映画「ほんがら」の
上映会があるから時間があれば行って見れば?」



とメールをもらっていました(東京の友人といっても
地元近江八幡出身者ですが)。


サイトなどを見てみると、近江八幡の島町だけに伝わる
ほんがら松明を50年ぶりに復活させるイベントがあり
その立ち上げからクライマックスの点燈までをキャメラが
追った作品ということでした。


で、その作品の上映が、映画が撮影された島町の
小学校の体育館であったんです。


体育館に入るなり、もうローカルな雰囲気が漂って
います。おじいちゃん、おばあちゃんが半数近くいましたか。


そして、前列にはシートが敷いてあって、
子供たち雑魚寝~、みたいな感じで、面白かった。


たぶん、100人以上、いや200人近くは集まって
いたでしょうか。


上映中、映画の中にこの祭りに関わった様々なおじいちゃん
おばあちゃんが登場しては、ほんがら松明が存在していた
頃の人間関係や男女関係などを話すわけなのですが、その
人物が換わるたびに


「○○はんやわ~、ダッハッハッハ!」

「○○ちゃん、まだ元気やなぁ~~」

「○○はん、ええ男に撮ってもろてぇ~~!」


とじいちゃん、ばあちゃんの歓声が上がって、本当に
身内のビデオ上映会のようでもありました(^^;)

それがすっごく面白くて、痛快でした。映画をわざわざ
大勢で楽しむというのは、こういう反応を楽しむことで
すから。

久しぶりに映画館の中の雰囲気も楽しめました。


ほんがら松明というのは、近江八幡や全国にある
様々な松明のように下から徐々に燃やしていく、棒状の
大きな松明とは一味ちがって、棒は棒でも中が完全に
空洞なんですね。

だから、空洞状の部分を火が通り越して、最上部の
蝋燭状になったところに火が到達して初めて燃え上がり
始める、極めて珍しいものらしいです。


彼らによると、普通の松明が棒状の松明なので男、
ほんがら松明は中が空洞なので女、この二つを神様に
奉納する、という意味があるそうで、もちろん


「島町だけの松明」


と胸を張ります。


中が空洞というのは、言うのは非常に簡単で、作るのは
困難を極めます。竹などを束ねてつくる一般的な松明と
違って実に複雑な作業工程があって(この文化が廃れた
一因となります)、50年ぶりの復活
ということで、老人たちがあ~だ、こうだと記憶を
辿りながらも、その個人差で小競り合いになるシーンなど
あって、実に微笑ましくもあり、良かった。


それにしても、老人会の寄り合いの中で、

「わしらも、こらから死ぬまで、なんか地元のために
 残せるものはないやろか。身体が動くうちにできる
 ことは何やろか」


という純朴な思いがひしひしと伝わって来て、それが
ほんがら松明につながっていくところがすごいと思う
のです。


つまり、地域に根ざした文化で、ちゃんと残すべきものを
持っていた、ということ。


そしてその熱い思いが伝播して、若い衆に伝わり、ほんがら
松明はクライマックスに見事に火を噴きます。


実は、筒状の下部を燃やさずに上部だけを燃やすのは非常に
難しいんです。だから祭りの高揚の中で、途中、火が
上部に上がる前に、火花が燃え移っちゃうんですが、若いのが
飛び乗って、消火するんですね。


たぶん、2mとか3mとかの高さです(^^;)


でも、途中で燃えちゃうとほんがら松明を作った意味が
ないんです。ろうそくのように上だけを燃やすのが
ほんがら松明。それが分かっているから危険を承知で
若い奴が決死の消火作業をする。

というか、半分酔っ払ってるというのもあると思い
ますが(^^)

とすると、主人公たちの老人が、「危ないからやめとけ!」
と叱りながらも、なかなか上に上がらない火と、松明を
支える若い衆の息が合わないことに業を煮やしている。


最下部から空気を送りこまないと火が上がらないので
掛け声とともに、何度も松明を上げ下げするんですが
ほんがら松明は、ほかの松明よりもよっぽど巨大な
重量級の重さです。


だから若い衆も息を上げながら、声を掛け合って
松明を持ち上げるのですが、最初はどうしてもタイミング
があわない。


たぶん、だいぶ酔っ払っているのもあると思います(^^;)


映画のクライマックスは、かなりヒートアップして
興奮しながら見ることができました。劇場用映画も
顔負けなほどです。


そして、何よりも素晴らしかったのは、登場人物のおじい
ちゃん、おばあちゃんの風貌です。


一人ひとりのキャラクターがしっかりあって、火花を散らす
といえば、大げさでしょうが、映画としての魅力を何倍にも
させるに余りある存在感なのです。


そうした人間像にキャメラが迫れるのは、当然、彼らとの
人間関係や信頼関係を構築していた長岡野亜監督の
手腕に負っています。


キャメラがすぐに人物に近づくんですよね。僕ならもう
ちょっと遠慮がちに入っていくような気がするんですが
最初から実に近づいている。それがひとつのスタイル
なんだと思うのですが、人柄も出ているなと思いました。


映画は、60歳代から80歳代までの戦後にこのほんがら
松明が存在していたころに青年部として受け継いでいた
人たちを中心に、地元若い衆、また新参者とのやり取りを
通して、現代社会の中で伝統文化を受け継いでいくことの
難しさも浮き彫りにしていきます。


それでも、伝統と、現代に生きる世代を越えた連帯が
つむぎだす祭りの世界は、本当に美しくも力強く、人間
臭くも、晴れやかで、爽快で、溌剌としていています。


おばあちゃんの発言にもあるのですが、島町って本当に
美しいんですね。


八幡の市街のグロテスクな繁華街や、その影響をもろに
被ってしまった旧市街なんかに比べても、格が違う。


何よりも自然風景、農村風景との共存が素晴らしいんです。


そういうところも決め細やかにキャメラは捕らえている
のですが、映画的にひとつだけ注文をつけたいとすれば、
映像の美しさにもっとこだわって欲しかった。


って、おそらく資金的な問題もあったでしょうね。
すいません、これは極細部に過ぎません。



ほんがら松明の文化と同様、この風景も、いつも通るごとに
心が豊かになる思いをしていますが、引き継いでいって
欲しいなと思います。

(近江八幡市は、全国に先駆けて景観法における
 「重要文化的景観」第一号に選定されてはいますが・・・
 イタリアに比べればさもしいものです。とはいえ
 確かに、鳥肌ものの区域はたくさんあります!!
 一度、いらして下さい^^)



映画が終わって、後ろを振り向くと、映画の主要登場人物が
あちらこちらにいらっしゃって、静かな感動を感じました。


そういう体験は、20年ほど前に訪れたヴェネツィア映画祭
以来です(^^;)


さて、最長老世代は、「これを残せ!」と下の世代に向かって
高らかに遺言を残しました。ですが、残すか残さないかは
下の世代次第です。


残されれば本物の活きた文化に返り咲きます。
残さなければ廃れた文化に成り下がります。


その選択こそ今を生きている世代の感性であり、品性であり
心のあり方となります。それを云々と評価するのもまた
次の世代、あるいは次の世紀ということになりましょうか。

「ほんがら」ウェブサイトはこちら!
  http://gonza.xii.jp/mura/






Last updated  2008/03/19 04:04:26 PM
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