2010/11/18(木)13:54
シチリアツアー6日目シラクーサ古代地区
シラクーサ
最近、シチリアや古代ローマ関係の本の中に「シラクーサ」
の文字を見かけると、特別な思いというか、畏怖の念というか
愛着のようなものを感じて、微笑を禁じえません(^^;)
このツアーのおかげでもありますし、やはり古代ギリシャ名
でシュラクサイと呼ばれる、この街の古代におけるポジションの
重要性というのは、無視できないばかりか、特に
ペロポネソス戦争やポエニ戦争でのバイプレイヤーとしての
活躍は胸躍らせるものがあって、心の片隅にでも置いてほしい
名前です。
オルティージャ島、ホテル前の朝の風景です。
これが我々の泊ったホテルです。
構造は古めかしいものでしたが、インテリアなど結構
モダンで、ゆったりしていました。
スタッフもとても感じ良かった。
朝食は、一棟隔てた別館的なところで。夜はトラットリア&
バーに変身します。結構国際色豊かな客層でした。
「ディオニュシオスの耳」という名前はこの島に流れて来た
カラヴァッジョによる命名だそうです。
寓話の域を出ませんが、僭主ディオニュシオスが囚人達の
話し声を盗み聞きしていたそうです。
本当は古代ギリシャ時代の、信じがたいほど巨大な石切り場
で、「天国の石切り場」latomia di paradisoと現在は
呼ばれていますが、当時は当然奴隷たちの仕事だったわけで
「地獄の石切り場」以外の何物でもない、とガイドさんが
言っていました。
この中で、「アヴェ・マリア」歌ってくださったんです。
当然ながら中の音響効果は抜群でしたから、それはそれは
神秘的な雰囲気に包まれていましたよ!
ギリシャ様式と呼ばれる柱頭のタイプには、もっともシンプルな
ドーリア様式、独特のねじりのあるイオニア様式、そして最も
装飾的なコリント様式とありますが、これはコリント様式の
柱頭。
その装飾とは、この地に自生する植物であることを教えて
くださいました。
下の写真です。
アカンサスと呼ばれる植物の葉ですね。
ギリシャからローマ、そしてルネッサンスに継承された
古代建築の偉大な意匠が、こういう自生植物から生まれた
ことを知ると感慨深いものがあります。
最も美しいギリシャ劇場のひとつですね。
一万人以上を収容できたという、スペイン統治時代に切り崩さ
れる前はもっと大きかったとか。
奥に見えるのがスペイン統治時代の城塞。
街の防衛のために、この古代歴史地区の遺産がどれだけ
スペイン人にないがしろにされたか・・・これから何度も嘆くことに
なるわけですが。
まあ、当時の感覚なら、当たり前のことなんでしょう。
ローマも相当にやられていますが、「遺産の保存」などと
いう「贅沢」は許されなかった時代ですから。
遺産保存を選ぶか、殺されるのを選ぶか・・・その選択に
議論の余地はないはずです(^^;)
ヒエロン2世の祭壇です。上部は、もちろん、15世紀に
スペイン人によって切り壊されています。
前3世紀、古代でもっとも大規模な生贄が捧げられた
そうです。その数、牛500頭!!
「その後は、史上最大のバーベキューを市民は楽しみました!」
とのアナウンスには吹き出しました(^^;)
これはローマ時代の円形劇場=アンフィテアトロanfiteatro
シアターの語源であるテアトロは、ギリシャ起源で半円形がベース。
舞台の向こうは広大な自然風景。これを借景にギリシャ劇が演じられ
ます。
アンフィテアトロは、その半円形を二つ組み合わせたという考え方。
風景は必要なく、もっぱら剣闘士や獣の果たし合いを楽しみました。
どちらの趣味が良かったかは自明のこと。
古代ローマ人の貴族たちがギリシャ文化に憧れたのも分かります。
彼らはギリシャ人奴隷を家庭教師にして、ギリシャ語を積極的に
学んでいます。貴族のほとんどがバイリンガルでしょ。しかも
支配する側がされる側の語学を学んでいます。やっぱ古代ローマ人、
変です(^^;)
朝鮮を支配した日本人の上層部がハングルを積極的に学んだで
しょうか?逆のことは強制的にやらせましたけど(^^;)
フレッシュジュースが美味しいイタリア。
このツアーでも頻繁にバールでの休憩で取りましたが、この時も(^^)
では、オルティージャ島に戻ってのツアー再開です!