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創意無限に、生きてみた。

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2007.06.03
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カテゴリ:カテゴリ未分類
映画は、時に芸術とまで高められて認知される。
数多いコンテストや作品展を見れば明らかな話であり、世界的評価もある。

に比べ、ゲームやアニメはどうだろう。
子供向けだのヲタクだの、程度の低い評価しかなされていない。
まだ、アニメは日本では受け入れられ、今世界的にもその地位をあげてきているからいい。
ジャパニメーションなんて言葉が物語る事からも明白な話。

しかしゲームはそうもない。最近ブームのようにされているが、所詮はブームなのだ。
時が過ぎれば急速な衰退も考えられなくない。人は飽きやすいから。

だが私は考える。ゲームは極めて程度の高い一種の芸術に違いないと。
映画が総合芸術と言われる所以は、小説、楽曲、演劇、絵画の一面を持つからだ。
フランスはそれを顕著に再現しようとする。見れば映画の芸術性に気付くだろう。
だがそれらはゲームでさえ有する事だ。むしろ世界そのものまでも完全に再現するゲームの方が創造性は大きい。

映画やアニメの役者の演技や環境条件が生む偶然性に芸術がある、というなら下らない。
ゲームにも同等、クリエイターの閃きとデータの偶然の配置による成功だって偶然が生む芸術だ。

そして何よりの違いは受動性と能動性だ。
3つの中ではゲームのみ明らかに後者だ。
しかし小説は能動的だ。つまり読み解く、に似た行為がゲームにはある。

今の世代、芸術に触れる者の能動的な感性が無視出来なくなったのは透明人間の話から確かである。
ゲームはそれにより顕著に晒されている。つまりもっとも評価のシビアな芸術なのだ。
だから評価されにくいのか、違うだろう。創造者と鑑賞者をつなぐ媒体が芸術のイメージを剥ぎ取るのだ。
映画は演劇や楽曲の昇華した形で劇場へ鑑賞しに行く。
しかしゲームは、店で販売されているのだ。従来のイメージとあまりに違う。
そもそも芸術は人の心の様を形紡いだものであるはずで、ゲームも無論、外れてはいない。
しかしその形態が、商業的な側面をずっと強め、芸術としてのゲームは霞んでいる。
最近の邦楽なども、芸術、というイメージが少ししがたいように。

そのような偶像が、多くの企業で推し進められ、ゲームは安っぽい娯楽の烙印をされた。
しまいには、国のトップがゲームは下らないというまでに堕ちたのだ。

だがICOやワンダはどうだ?あの視覚は芸術ではないか。
完璧に創られたゼルダはどうか?能動的な芸術の頂きにいるはずだ。
挙げればきりがない芸術があるのだ。だのに評価されない、遺憾でならない。

しかしそれをアメリカは評価する。
アメリカは創造者を圧倒的に評価する。
宮本、小島、横井なんて、ちょっとした俳優より遥かに知名度がある。
日本人に、このゲームブームに乗っかった奴らのどれだけが彼の名前を知る?
日本が誇る世界の天才に違いないのに。
逆にアメリカはアニメを過小評価するが…。

少し話が逸れたが、ゲームは芸術に違いなく、極めてそれは質が高い。
あくまで私的な感覚だが音楽を例にとれば、
ゲーム>映画>クラシック>ポップス…
である。完全に好みの話だが。
しかし多くのクリエイター、アーティストがゲームに惹かれているのも事実。
ミュージシャンがゲーム音楽を手掛けたり、映画監督がゲームを手掛けたり。
特にそのような流れの中でピータージャクソンのコメントは印象的だった。
「最近映画にワクワクしなくなった、ゲームの発売の方がずっとワクワクする」
映画だけでなく、娯楽と芸術の両立で頂きに立てるのは、ゲームだって違いない。
ただ能動的な分、際立った娯楽性が人を引き付けるのだ。





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Last updated  2007.06.09 18:39:47



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