歴史の謎 日本史 明智光秀について その1
以前掲示板でも述べたように少し歴史のトンデモな部分あるいは伝説的な点や脚色が多分に含まれている箇所をより掘り下げて、そこからより広く深い歴史認識を持てればと思い、一般的な歴史について考えるという処から想像的な部分、または創造的な部分を介入されこの明智光秀について数回にわたって述べようと思う。明智光秀とは言うまでもなく、戦国時代の武将で織田信長に仕えるが謀反に及び本能寺の変にて信長を討ったが、中国地方で毛利氏と対陣しており急ぎ機内に戻ってきた、同じく信長家臣の羽柴秀吉に山崎の合戦で敗れ、敗走中に小栗栖で落ち武者狩りに遭いその生涯を閉じたとして知られている。ここでメインで述べたいのはその明智光秀の生涯についてでも、功罪についてでもなければ本能寺の変の原因を掘り下げる事でもない。ある説、明智光秀は南光坊天海であるか?という事である。つまりは光秀は敗走中に落命せずに名を変え生存していたのではないかという説を探りたいと考えている。西郷隆盛、源義経、豊臣秀頼(共に真田信繁)、松平信康など日本には歴史上死なずに逃れた、あるいは存命していたと言われる人物が多く見受けられる。明智光秀も同様であり、数多くの論拠も散在しているといわれている。もっと言えば光秀死亡の根拠、証拠を探す方が困難なのである。次回より、まず光秀が死亡したとされる山崎の合戦後から詳しく述べたいと思います。以下最近の所感法務大臣が死神とどこかの新聞で叩かれたそうですね。これは私に言わせれば非常に残念な事であり国民は声を上げて非難するべき事だと思います。1、現行の法律において日本は死刑を設置している国である2、死刑の執行は法律に基づいたものであり3、法務大臣は執行指示に関しても精査の上、一定の期間内に指示せねばならない4、死刑の対象は相応の犯罪を犯した事に拠るものであり5、その死刑の決定は裁判によって決定されたものである。以上5点法律面から1、犯罪被害者が死刑を望むという現実と2、死刑囚は死神によって送られるのではないという点。加えて、メディアが上記の状況を無視して誰もが目にする事のできる場にてこのような発言をした事は非常に程度の低い事であり、死刑制度に疑問を投げかけるような次元の話でもなく、不適切極まりない発言であると思う。