2011/12/15(木)04:17
震災後を淡々と生きる
大変な事が起こった年でした。
今更ながら気がついたこと…
被災地、被災者と一言で言っても、そこに住む人の数だけ違う経験があり、
違う感情があり、違う見方が存在していること…
家が浸水した人と家が無くなった人では違う震災であり、また愛する人を
なくした人は全く違う出来事なのだなあと。
しかし、周りの人たちは概ね状況にかかわらずただ淡々と今すべきことを
している。
やはり東北人は我慢強いからなのか?
家や仕事をなくした人も、家族を亡くした人も、淡々とひたすら淡々と今を生き普通に
生活しているように見える。パッと見、誰がどんな目に遭ったかなんて全くわかりません。
そして時間もまた淡々と経過して何事も無かったかのように来年に移ろうとしている。
これは良いことなのか?
個人的に今感じていることですが、正直な話、今年の出来事はいまだに現実感が無い。
朝目覚めると悪夢から覚めたと勘違いすることがいまだに時々あったりする。
震災後のやるべきことが増大し感情を解き放つ余裕も無かったため、じっくり
自分と対話することもできず、「何かを押し殺している感」が絶えずあったりします。
そのせいか、夜車を運転していると涙がどばーっと出てくることがあり、
情緒不安定でおかしいんでねぇかオレ?と思うこともあったりしました。
無意識のうちに何かを我慢しているんでしょうか?
被災の度合いが比較的軽いほうの私ですら今こんな感じですから、皆の心のレベルでの
回復→本当の意味での復興はこれからの話なんでしょうね。
本当の意味での復興…私ごときに震災の痛みを癒すような凄いことは出来ないです。
しかし一畳屋として地域から求められていることは沢山あり、復興の小さなパーツの
一つとして自分の役割を果たしていけたらよいのかなあと思います。
結局のところ、多少の迷いはありますが今はこのようにすることが最善なのかもしれません。
ただ淡々と。周りの人たちもしているように。ひたすら淡々と…
畳工事が先週終わった仙台の仮設住宅です。件数が件数だったため腰やっつけてしまいました…