テーマ:ママの気持ち(579)
カテゴリ:病気
24日父が救急車で運ばれた。
気が動転した母からの電話。 母は仕事中だった。近所の人は連絡がつかず、いろいろな人づてに母に連絡を取ってくれた。なんと、奈良にいる人からの連絡で知ったらしい。 驚くのも無理はない。 弟もすぐに駆けつけた。私もそうしたい気持ちでいたが、状況がわからないため、夫に止められた。 夫は年に数度しか取らない有給休暇の日だった。夫婦でゆっくりとした時間の中にいた。内心、世の中そういうめぐり合わせの休日なのかなと思った。 携帯電話のありがたさを感じながら、連絡を待った。 何から手をつけていいのかわからない。 夫はこういうとき他人だからというのもあって冷静だ。 居てくれて本当に助かった。 一日中、症状は行きつ戻りつしたものの夕方にはうそみたいに回復した。 で、予定通り、金曜の子どもたちの下校を待って、実家にいってきた。 父は娘の私を本当にかわいがってくれていたんだなあ、なんて帰りの長い道中は思いながら・・・。 ベットで横たわる父はやせて一段と小さくなった。 夜、私たちが病院を後にするときの悲しいそうな顔の父は、子どもが入院したとき同じで、後ろ髪を引かれた。 あと戻って、ホメオパシーのレメディをあげた。「これ寂しくならないやつだから。飲んでね。明日朝には来るからね。」 その夜、母とは話さなければならないことがたくさんあった。事務的なこと。父がいない間に話しておかなければ。母が、つらいのもよくわかった。 朝、父は大体において調子が悪い。今朝も食事も取らずに、子どものように待っていた。小さい背中をさすったり・・・。一緒に朝食をとった。 昔はたくさん食べているイメージが強かった父が、離乳食のような流動食をおいしそうに食べる姿は、本当に・・・。 外に散歩に出れるくらいにはなっていた。 真っ青な大空を、渡り鳥が一直線になってVの字を描きながら飛んでいった。 幾重にも。幾重にも。どこへ行くのだろう。 カメラの好きな父が、「携帯で撮れ。」といったが間に合わなかった。 でもあの印象的な光景は、私の中に一生焼き付いていることだろう。 そして父は退院した。 介護の日々がはじまる。 母も私も、「あの元気な父が・・・」という思いが強くて受け入れられなかった現実を、少しづつ受け入れなくてはならない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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