地方紙のグローバル展開に向けて~妄想ばなし
地方紙のグローバル展開に向けて~世界に向けた個別宅配システムのコンサルティング事業~◆『夢のある仕事だ』ということを伝えたいものだ◆とかく今の私の仕事の業界は、暗い話題に終始する。何か一筋の光はないものかと思い巡っていたところ、ここ数年こんな夢物語が現実になりやしないかと考えている。いわゆる地方紙に入社した四半世紀前。私の仕事は「東北の人々のためにある」との一心だった。むろん、東北以外の人々に向けてのビジネスなんて有り得ないだろうと高を括っていた。この10年来は、ターゲットエリアの限界を感じつつも、可能性を信じないわけにはいかないと、業務を超えて一市民として様々な人々と当事者として関わり、地域の人々との関係性を紡ぐことで解決の糸口があればとチャレンジを繰り返してきた。 ◆一筋の光のヒントは「イタリア」にあった◆イタリア・ミラノ在住の嶋末みどりさんとのつながりができ、この4年の間に2度イタリアを訪れた。成熟した西洋社会できらびやかに映るイタリアの街角では、残念なことになんと落書きが多く、たばこのポイ捨てを頻繁に見たことか。昭和の日本を見るようだった。ただし平成の30年間で、日本は道徳心や公共心をしっかりと育んだ結果、陰鬱な落書きやポイ捨ても激減したことだろう。 ◆いったい、何が起因しているのか◆ミラノのみどりさんに問いかけたところ、イタリアにはモラルを啓発するNPOや町内会などのコミュニティーが少ないという。ミラノの街を歩いていてふいに気づいたのは、地下鉄の乗車券販売機前で観光客に操作を教える代りにお釣りをせがむジプシー、雨が降ってきて駅前でそそくさと傘を販売しはじめるジプシーの姿。その傍ら、メトロで新聞を買うのはいわゆる富裕層、バールに据え置かれた新聞をコーヒーを飲みながら眺め読んでいるのは中間層と呼称される人々だった。貧富の二極化が進むというのはこういうことなのだろうか。ジプシーは未来永劫ジプシーでしか生きていけないのだろうか。 ◆翻って日本との違いはどこだろうと考えた◆気づいたことは、新聞の個別宅配制度の存在だった。全国どこでも同じ新聞であれば、同一料金で読める新聞。当たり前だと感じていたが、欧米ではむろん当たり前ではない。あまねく全ての人に与えられる教育を受ける権利。その前提となる必要最低限の情報を得られる環境の存在意義に気づいた。地方紙の強みは何か。そうだ、限界集落にも離島にもほぼ翌朝に届く新聞配達のインフラ網。この環境を全世界に提案コンサルし、各国の地域社会に整備できたらどうだろう。人々の意識が二極化された地域の人々のギャップ少しでも埋めることで、人間の尊厳と自由を取り戻せないだろうか。もちろん国家のプロパガンダとならないよう細心の注意を払いつつ、国や自治体、世界の地方紙と連携し教養とモラルを人々に身に付けてもらう役割を担えないだろうか。 ◆既にはじまっている? 未来の若者にも委ねたい◆地方紙がグローバルな世界でも挑戦できるんだというメッセージを伝えることで、地方紙への志願者の減少にも一本のくさびを打ち込みたいものだ。そんなことをここ最近あらゆるところで話をしていたら、アジア圏でとある地域の新聞販売店が展開もしくは準備しているという噂が聞こえてきた。『地方紙は、全世界でも仕事ができる』。そんな夢のあるひとつの話を実現するために。次世代を築こうとする若者に期待し、そして共に歩んでいきたい。