わかくさ日記

2017/11/17(金)18:06

楠木正行公の墓所に御参り(六萬寺往生院を参拝)

お出掛けしました(東大阪市)(84)

こんばんは 昨日 12/9は、とても暖かい小春日和 六萬寺往生院を参拝し、楠木正行公のお墓に御参りしました。HPは こちら 六萬寺往生院は再興されて、とても立派な お寺になり、 私達の子供の頃の お寺の面影は、全くありません。 門をくぐって 先ずは 本堂に参拝 しばしの御住職様と雑談の後、案内されて (不用心なので、鍵がかかっています)、楠木正行公の墓所に御参り 墓所への道の昔からの碑 東大阪市の建立 この急な階段は。。。 初代中村鴈治郎氏が 階段を 参拝の折りに寄付して下さった碑文。 近鉄瓢箪山駅奈良行きホームにある碑も その折り 初代中村鴈治郎氏が寄付されました。 ホームへ立ち寄られたら、『中村鴈治郎』の文字を探して下さいね。 2015.08.23に撮っていますこちら 上りきると 御住職様が扉を開けて下さいました。 ここは、昔と同じ場所で 左が正行公の胴体が葬られています。 菊水の御紋 正行公の銅像を再建されました。 昔の台座は、墓苑の案内所の前辺りにあったそうです。  1991年のNHK大河ドラマ「太平記」ブームで 近鉄瓢箪山駅奈良行きホームに ある『楠木正行公墓 往生院』碑を見て たくさんの方が参拝されて、 銅像を再建される きっかけになったそうです。 昔の銅像は、戦時中 金属類回収令により供出され、子供の頃  見たのは、石の台座だけを 見上げていたものでした。 今は、少しコンパクトになっています。 傍の石垣に昔の台座に使われていた菊水の御紋の石がありました。 それは 銅像の下の巻き石に使われていたそうですので、そこから推測しても  戦前の銅像と台座が どんなに大きく立派なものだったかが わかります。 貼られている『正行公銅像』は、昔のものです。 これは、摩耗して見えなくなっていますが、 明治時代 四条畷神社に 正行公が祀られる事を知り、周辺住民が 六萬寺往生院正行公墓所 本来説を後世に遺そうと建てた碑です。 下部に住民の姓が 刻まれています。 経緯は、こちらを御覧下さい。  下の二基は 先代御住職が建てられたので、新しいものです。 ここで 御住職様と お別れして あべのハルカスと 通天閣を望みました。 往生院は、“四天王寺の東門であるとともに極楽浄土の東門に当たる” ことから 極楽往生を達するために ふさわしい地とされてきました。 実際、四天王寺の真東で、往生院から見る彼岸の中日の太陽は、 四天王寺に向かって落ちていきます。(墓苑由来の立て看板より) それを証明して、美しい お彼岸の夕日を写しておられる  けん家持さんの2013.09.20 のブログを御覧下さいこちら 子供の頃、楠木正行公の銅像の台座の周りで遊んだ事を懐かしく思い出しました。 楠木正行公の墓所は 歴史を彷彿とさせ、とても神聖な場所でした。 御住職様、御案内をありがとうございました

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