背中を流す夢
>母の背中を流している夢を見た歯医者の待合室で広げた新聞の投稿欄に目が止まった投稿者は82歳の女性生前の母の背中をよく流したと母もまた自分の背中を流してくれたとその思い出が女性らしいやわらかな筆致で淡々としたためられていた思えば自分も生前の父の背中を一度だけ流したことがある瀬戸大橋が開通した年に晩年の父と母を連れてこの大橋を渡り讃岐の金比羅さんを巡って淡路の洲本温泉に一泊したことがあるシーズンではなかったので温泉客も少なく 広い浴場で父と二人ゆったりと湯を浴びた思い出が甦ってきたその時に初めて父の背中を流した大きな病を克服した後の父の背中はあきらかに小さくなっていた歯医者の診察台に横たわり大きく開けた口を医者に預けて僕はそんなことを思い出していた医者は口の中でグラインダー(?)を駆使してキンキンいわせながら歯を削っているいつもなら痛くもないのにその音だけで背中を反らしたり拳をにぎりしめたりするのにこの日はまったく上の空であった母の背中を流す夢を見たという女性の文字が何度も何度も僕の思い出の記憶の引き金を引いたちっとも悲しいことなんかないのに年のせいで涙腺がゆるくなっているこのごろ口を開けて目を閉じた目尻からそれは無意識にひとしずくこぼれるものがあった「あいつさん!痛みますかっ!」それを見つけたのかピンクの制服を着た助手の女性が心配そうに横から言う「あ~あ あ あ~あ あ」そんなことはないと言いたかったけれど大きく開いた僕の口はあ の音しか発せられなかった文字だけ見ればまるで昔の思い出に慟哭しているように見えるではないか・・・