東京今昔物語 (写真の世界 http://wakowphoto.world.coocan.jp/ より)

2007/10/21(日)12:49

小伝馬町は問屋街発祥の地

昭和(26)

日本橋小伝馬町の交差点 馬喰横山問屋街を訪れる人々 1 馬喰横山問屋街を訪れる人々 2 浅草橋の人形問屋の一つ 吉徳 江戸時代には、隅田川とそれに通ずる運河を通って日本橋に物資が集まりました。日本橋から江戸の街々に、或いは江戸の近郊に、それらの物資は配送されました。日本橋は江戸時代から商業の街であり、流通の拠点でした。 その歴史と伝統は、今も日本橋界隈に色濃く残っています。昔の物資集散地は、江戸の牢屋敷街として有名だった伝馬町辺りにあったのでしょう。伝馬町という地名は全国の交通の要衝地にありますが、当時は運送は馬に拠っており、運送業者を伝馬役と言い、彼らが住んだ町が伝馬町でした。 日光街道への出発点であった付近には、小伝馬町と大伝馬町という町名が今も残っています。その隣に馬喰町と横山町がありますが、ここは東京でも有数の繊維問屋街です。馬喰横山新道問屋街は、街路の両側に繊維関係の問屋が隙間なく店を構えている一大ショッピング・センターです。これと並行して、やや規模の大きい問屋が並ぶ横山町大通りがあります。 馬喰横山の繊維問屋街を通り抜けたところは、浅草橋のたもとです。神田川に架かる浅草橋を渡って江戸通りを北上すると、浅草橋駅辺りには日本人形の卸問屋が集まっています。人形好きの人なら誰でも知っている久月、秀月、吉徳の大きな看板が目に入ります。 ここから蔵前橋までの江戸通りには、人形卸店の外におもちゃ、模型品、文房具、ビーズなどの服飾品、室内装飾品など、色々な問屋が散在しています。浅草橋から蔵前橋に至る江戸通りは、東北道や常磐道への街道筋ですから、小伝馬町辺りの伝統的な問屋街が延びてきた新しい問屋街です。 隅田川の西側を北上する江戸通りは、流通業の拠点として恵まれているようです。その先には、関東最古の浅草寺があり、庶民の盛り場の仲見世があります。蔵前橋から少し行った江戸通りには、キャラクター・メーカーの大手バンダイの本社もにあります。 日本橋小伝馬町から始まった江戸の流通業は、これからも江戸通り沿いに発展していくでしょう。 (以上)

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