東京今昔物語 (写真の世界 http://wakowphoto.world.coocan.jp/ より)

2008/03/22(土)10:12

山の手の中の下町 谷中

昭和(26)

写真1 夕焼だんだん坂から谷中銀座通りを見る 写真2 戦災に遭わなかった大正時代の建物 写真3 朝倉彫塑館 写真4 五重塔跡地 谷中は、その名前の通り上野の山と本郷の台地との間の低地、即ち谷の中にあります。その低地を谷田川という小川が流れていましたが、今は細い道路となって、へび道と言われています。その道は小川の流れのようにクネクネ曲がっているからです。 上野に徳川家の菩提寺、寛永寺が建設されてから、その周辺に小さな寺院が建つようになり、特に明暦の大火の後、多くの寺院が寛永寺周辺に集まりました。そして低地の谷中は、これら寺院の寺町として発展しました。 台地は武家や社寺が使い、その谷間に町人が住み、武家や寺社の経済を支える形態は、江戸時代の街造りです。谷中もその典型の下町として生まれた街であり、現在でも、その伝統を受継いだ街です。周辺の住民の日常の生活を支える商店街は、いまも谷中銀座として賑わっています。(写真1) 谷中は戦災を免れた街でして、あちこちに戦前の姿を見ることができます。更に、関東大震災でも被害が少なかったので、都内では珍しく古い下町の建物が残っているところです。また、芸術の森、上野に近いからでしょうか、朝倉彫塑館や岡倉天心記念公園などもあり、古い街を散策するポイントもあります。(写真2、3) 谷中霊園内の桜は古木が多く、有名な上野公園の桜より、静かで深みのある花見ができます。霊園には徳川慶喜を始め、横山大観、長谷川一夫などの有名人の墓があり、花の季節でなくても霊園内を散策する人が絶えません。 中でも幸田露伴の小説「五重塔」に描かれた五重塔跡地は、谷中霊園内で最も人が訪れる場所です。大正の震災にも壊れず、昭和の空襲にも焼けず生延びた五重塔が、平和になった戦後、焼身心中の巻添えで消失したのは残念です。関東で最も高い五重塔だったそうで、今見る基礎石は花崗岩です。(写真4) 谷中は、山の手の中にある下町として、何度歩いても飽きない、懐の深い街です。 (以上)

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