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東京駅の周辺は、日本で初めてオフィス街という街並みが生まれたところです。
時代を遡れば、三菱の岩崎彌之助が明治政府から江戸城内だった丸の内地区の払い下げを受け、赤煉瓦造りの「一丁ロンドン」というオフィス街を建設したことに始まります。 (写真1)(2009年にレプリカとして再建された「三菱一号館」。現在は美術館) 大正時代に入り東京駅が開設されて、東京海上ビル、日本郵船ビル、丸の内ビルとオフィスビルの建設が続き、日本橋界隈が三井系の金融・商業街に発展したのに対して、丸の内地区は三菱村と呼ばれるオフィス街に成長しました。 現在、東京駅周辺のオフィス街の中心部は「丸の内・大手町地区」と言われていますが、その名前が示すように、この地域は江戸城の本丸や大手門のあったところです。その全域は、江戸城の外濠(八重洲通り)と内堀(日比谷通り)に挟まれたところです。 「丸の内・大手町地区」には、丸の内仲通り、大名小路(鎌倉橋~有楽町駅前)、大手町仲通り、永代通り、八重洲通り(外堀通り)、日比谷通り(内堀通り)の6本の街路があり、街路に沿って様々なビルが建っています。それに、東京駅丸の内改札口の前の広場を囲むように様々なビルが建っています。それらが今回の観察の対象になります。 (写真2、3、4、5、6、7、8、9、10) このブログでは、ビルの中までは観察しませんが、個々のビルの外観(ファサード)を観察すると同時に、それらのビル群が造り出す街路、街頭の容貌を観察します。 丸の内・大手町地区のビルには、大企業や中小企業の本社が入居しています。 本社機能を人体に喩えれば頭脳や神経に相当します。その機能は企業情報の生産、処理、伝達という仕事ですから物を生産する工場のように広大なスペースを必要としません。 しかし、本社機能の活動には第一に情報交換に便利な立地条件が求められますし、第二に情報交換機能の密度を高めるため同じ場所への集中が求められます。こうして丸の内・大手町地区のビルは時代と共に高層化していきました。 丸の内・大手町地区のもう一つの特徴は、企業業務機能のオフィス街でありながら、消費者のための街の機能、即ち商店と飲食店が質量共に充実していることです。これが特に顕著な場所は丸の内仲通りと東京駅隣接地域です。 なお、このブログでは丸の内・大手町地区について、既に下記のテーマで6回取り上げています。過去数年間(2006~2013年)思いくままに書いたものですので、統一されておらず、内容が古くなったものがあり、相互に重複するところもありますが、併せてご覧下さるようお願いします。 2006.09.21 歴史的建造物の運命 2008.03.03 東京駅を取巻く超高層ビル群を概観する 2013.01.15 東京駅丸の内駅舎よみがえる 2013.02.01 丸の内の変貌 丸ビルと仲通り 2013.02.08 丸の内の変貌 日本最大の超高層ビル群が誕生 2013.04.10 超高層ビルのスカイラインと街中の風通し 従って、今回はテーマを街並の外観を観察するということにして、その他の説明は必要最小限に止めます。 (以上)
写真6 永代通り 交通量の多い通り 人気ブログランキングに参加しています。応援をよろしくお願い致します。 人気ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.10.15 10:16:45
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