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六本木ヒルズの誕生(平成15年2003)で六本木通りが三回目の変身をしてから少し遅れて、外苑東通りにも大きな変化が訪れます。
駐留米軍が去った跡地に防衛庁が入り、六本木は再び兵隊の街に戻りますが、その後、防衛庁も市ヶ谷に去り、その跡地に大規模な再開発が行われて、平成19年(2007)に東京ミッドタウンが誕生したからです。 外苑東通りは、靑山通りの靑山一丁目から櫻田通の飯倉まで通じる都心西部を南北に走るやや大きな通りですが、東京ミッドタウンが誕生する前は、六本木交差点辺りが賑わうだけの静かな通りでした。目立つものとしては、青山寄りに乃木神社があり、飯倉寄りにはロシア大使館、外務省公館、郵政省別館があるだけでした。 戦後、六本木に米軍が駐留し、その後六本木にディスコブームが訪れた頃、六本木交差点の少し南に大きな13階建ての六本木ロアビル(昭和48年1973年竣工)が建ち、ディスコ・ダンスホールやバニーガールのいるバー等が入居して、夜の街のビルとして六本木繁華街の一拠点になりましたが、ディスコブームが去ると、更なる街並みの発展には繋がりませんでした。 (写真1) 外苑東通りは本格的に変身するのは、東京ミッドタウンが建設されてからです。六本木交差点から乃木神社の方面にかけて街路の両側に中高層のビルが建ち並ぶようになり、街並みが整備されてきました。東京ミッドタウンの出現が、あまり冴えなかった外苑東通りを、ややモダンに見えるように変えたのです。 (写真2) 東京ミッドタウンは、その建設敷地が街路に直接接しており、かつ、その前の広場が街路に開かれているので、外苑東通りの街並み造りに大きく貢献しています。この点は、同じ大規模再開発の六本木ヒルズが六本木通りに平面で開かれていないのと比べると優れています。それに呼応するかのように東京ミッドタウンの向かい側の高層ビルもモダンになりました (写真3、4、5、6、7) しかし、六本木交差点から南の飯倉片町にかけては、まだ従来の小規模の店舗が残っていて、街路造りは現在進行中です。外苑東通りで繁華街造りの先陣をきったロアビルが、耐震性に問題があり、解体再建が始まりましたし、その先ではオフィスビルやホテルなどの高層ビルの建設が始まっています。六本木交差点から飯倉片町方向を通して見ると、ビルの外郭ラインが乱れているのはその所為です。 (写真8、9) 更に、外苑東通りを飯倉片町方面に進むと、嘗てそこにはピットイン、クレージーホースなどのライブハウスやサパー・クラブなどがあったところですが、今は商業施設やオフィスビルに変わっています。六本木の街は、今なお更に発展を続けており、繁華街だけの街から複合的な機能の街に変化しているのです。 外苑東通りは、首都高速道路に覆われた六本木通りより明るく、両側の街並みが左右に分断されないので、将来の成長が楽しみです。 なお、外苑東通りからやや離れますが、乃木坂寄りに国立新美術館(平成19年2007)が開設されて、東京ミッドタウン内のサントリー美術館、六本木ヒルズ内の森美術館と共に、六本木に三つも美術館が揃いました。六本木は何時の間にかアートの街にもなっていたのです。 (写真10) (以上) 人気ブログランキングに参加しています。応援をよろしくお願い致します。 人気ブログランキングへ javascript:void(0); 写真1 ロアビル(現在、閉鎖して取り壊し中) 写真2 中高層ビルが整然と並ぶ街並み 写真3 外苑東通りから見た東京ミッドタウンの全景 写真4 外苑東通りに面して店舗がある東京ミッドタウン 写真5 東京ミッドタウン前の広場 外苑東通りに開かれている。 写真6 外苑東通りにも表参道のようなブティック店が現れた。 写真7 東京ミッドタウンの向かい側の街並み 写真8 建設中の高層ビル 写真9 乱れているビルの外郭ライン 写真10 国立新美術館 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.11.13 16:12:04
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