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カテゴリ:北九州で感じたこと
こないだの連休に佐賀の吉野ヶ里遺跡へ行った。
![]() 恥ずかしながら、九州へ来るまで吉野ヶ里って聞いた ことがなかったのだが、相方は邪馬台国の謎、などと いったことが大好きで、一度行きたいと言っていた のである。 元々工場かなにかを作ろうと計画されていた土地から 弥生時代の遺跡が発見されたところで、それはもう だだっぴろい草原に点々と集落が復元されている。 竪穴など本物の遺跡は、調査が済んだところで土を かけて埋め戻されているので見えないのが少し残念 だったが、復元された住居や倉、壕などを実際に歩いて 体感できるので面白かった。 なんでも、縄文人が穏やかに暮らしていたところに 攻撃的な弥生人たちが押し寄せてきたということで、 農耕民族と言うとつい穏やかな人たちをイメージして しまうのだが逆だということを初めて知った。 資料館には、縄文人と弥生人の対比表が貼ってあって それもまた楽しい。記憶をたどって書いてみると、 顔 … 縄文:濃くて鼻が大きい <--> 弥生:目が細くあっさり 性 格 … 縄文:穏やか <--> 弥生:アグレッシブ 血液型 … 縄文:O型 <--> 弥生:A型、AB型 指 紋 … 縄文:蹄状紋(蹄の形) <--> 弥生:渦状紋(同心円みたいの) ああー、ファッションセンスとかも書いてあって 結構笑えた気がするんだけど、忘れてしまいました。 で、この表を見てやはり、自分はどっちか判定しよう と思うんだけど、び、B型がない…。相方は醤油顔だけど 鼻は高いしO型だし、むむむ分からないじゃん。 血液型から考えると、O型の人はあまり混血してないって ことになると思うんだけど、まあそう単純ではないのかも 知れません。 関係ないけど、相方はO型、私はBO型なので、うちに子ども ができると絶対B型かO型になって、家族じゅう変なヤツに なってしまう運命なのです。ああ、羨ましくないですか、 そうですか。 あと面白かったのが、この時代に既にあったという「市」。 家は竪穴に掘ってあって、倉は逆に高床になっているの だけど、この市を管理する建物「市楼(しろう)」は 外の地面と建物の床が同じ高さになっていて珍しい。 きっと人の出入が頻繁に行われていた建物だったのだろう。 市、というだけでわくわくし、私の祖先はここで働いて いたかもと思ったほどだったけど、きっと実際は争いが 起こらないように警戒するような血なまぐさい場所 だったのかも知れない。 とても暑くて後で夏バテになっちゃったけど、こういう 遺跡にオトナになってから行くと、気づくことが色々と あって面白いんだなぁと改めて思った1日だったのでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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