旧北九州空港ありがとう!
来週3月15日が最後の営業日となる北九州空港。この週末が最後の機会になるので、相方と共にお別れを言いに行って来た。私の九州デビューはここ、北九州空港に降り立ったときから始まった。2002年8月末に相方の北九州勤務が決まり、9月になって家探しに来たのが初めてのこと。その月は新しい生活の準備を整えるため、週末になる度に羽田とこの空港を往復した。そして10月から勤務開始の相方と、年末商戦を控えてすぐには仕事を辞められなかった私は、3ヶ月の間北九州と東京で離れて暮らすことになる。新居がどうにか整って、いよいよ離れ離れになるという別れもこの北九州空港だった。たった3ヶ月なのにとても長く感じられて、飛行機が飛び立って涙が止まらなくなってしまったのを思い出す。ようやく2003年1月になって、また一緒になれたそのスタートもここ。到着口から相方が見えた瞬間の感動は忘れられない。東京での仕事を辞めることにちょっぴり感じていた未練もここで完全に吹き飛んで、家族ってやっぱり一緒に住まないとだめだ!と改めて強く思った瞬間でもあった。だから、この空港にはとても思い入れがある。前置きが長くなってしまったが、そういう訳で最後の見納めに行って来た。この空港は、初めて降りたときにとても驚いたのだがとてもちっちゃくて道の駅くらいしかない。これ↓が建物の全景だ。 そして館内はこんな感じ↓になっている。幅が大体50m×奥行き20mくらいか。その手前半分にJALカウンター、搭乗口、到着口、土産屋4店、喫茶店、トイレがあるのだが、館内はこんなふうに向こうの端まですぐに見渡せてしまう。銀行・郵便局はありません。上の見取り図で言うと、左端のチェックインカウンターから右端のレストラン方向を眺めたところ↓。 JALカウンター、土産屋、喫茶店はこの↓こじんまりさ!この日は最後の週末なので、うちと同じように別れを惜しむ人たちが来ていた。ここの空港は小さいので離着陸を間近に見られるのがとてもいいところ。しかし羽田と1日に4~5往復しかしていないので、時刻を狙っていかないと見られない。私たちは16:25発の離陸を見るべく屋上へと向かうと、既にスタンバっている人たちがいた。カメラ小僧も混じっている。屋上からの眺めはこんな↓感じ。搭乗口からほんのちょっと渡り廊下を歩くだけで飛行機に乗れてしまうのが便利!廊下の切れ目や窓から、屋上に見送りに来ている人たちに手を振ってもちゃんと見える。3ヶ月の遠距離生活を始めるために私ひとりでこの廊下を歩き、屋上の相方へ手がちぎれるくらい手を振ったのが昨日のことみたい。離陸時刻が近づいて飛行機が切り離されると、空港中の作業員の人たちが飛行機に向かって1列に並び、みんなで手を振ってくれるのも、このアットホームな空港の素敵なところだった。いよいよ離陸する瞬間がやってきた。すごい轟音と迫力で目の前の滑走路を飛行機が横切っていく。 思わずみんな手を振り、拍手をする。飛行機に乗っている方からも、建物の屋上で手を振っている人たちが見える。相方がずっと見送ってくれているのが見えて涙がこらえられなくなったのも分かっていただけるかと思う。羽田空港は大きすぎて何をやるにも時間が掛かり、もちろん見送りの人はどの飛行機に想い人が乗っているか分からない。だから、こんな北九州空港が私はとても好きだった。新北九州空港はずっと大きくなるようなので、このよさが失われてしまうのは個人的にさびしい気がする。ちなみに、私がよく言っている「空港にやしの木があってやっぱり九州は南国なんだと思っていたら、冬になって雪ががんがん降るので騙された気分」の「空港のやしの木」はこれです。あんたには騙されたけど、空港には本当にお世話になりました。さようなら&有難うございました!<北九州空港の概要及び沿革> ※公式サイトより抜粋1944年9月1日 旧陸軍の曽根飛行場(戦闘機基地)として建設1961年4月 1,500m滑走路の公共用飛行場、第二種空港(小倉飛行場)として供用開始1973年2月 北九州空港と名称変更1983年11月 唯一存続していた大阪線も休止し、定期便不在の状況に1991年3月27日 1,600m滑走路の供用開始に併せ、新北九州空港が開港するまでのつなぎとしてジェット機による定期便が再開