日本書紀の消えた帝王系図が再発見?
今回取り上げている日本書紀神代上下巻神代系図を仮に日本書紀帝王系図として見た場合どの様になるか、検証してみましょう。又青蓮院宮が重宝なもの(研究レポート新出の日本書紀系図一巻の項(p41)の2枚目下(p43)の上段左から6行目に記載)とは何が重宝なのかも検証します。この系図を使っての検証に成ります。こちらは日本書紀神代上巻に成ります。こちらが漢文で書かれた日本書紀神代巻上の冒頭部分3枚に成ります。*さてここで問題です。問1(可美葦牙彥舅尊)はどの神の後に生まれた神様か?問2この神代上巻3枚の何処に記載があるのか?以上2問を考えてみてください。・・・・・答えるには少し難しいと感じられると思います!次に漢文文字で神様を表記してみますね!これで少し分かるようになってきましたね!続いて現代語で神様を表記してみます。これでやっと問題2問が回答できるようになりましたね。そしてこちらが日本書紀アイテムに成る系図を載せてみました。この系図を使うといとも簡単に調べたい神様が分かるように成っているでしょ!本文と一書口を理解するにはこの系図アイテムが必要だったという事で、青蓮院宮が重宝な物と言った理由がわかります。今回記載の日本書紀神代巻上3枚をこの系図アイテムを使い照らし合わせてみてください。・・・・面白い発見が有りますよ!!!)先ほど登場した(うましあしがいひこ尊)の漢字が前回もお話ししたように違いますね。2)もう1つ大きな違いを発見された方もおられると思いますが!(一書口)5番目の系図が日本書紀には記載が見当たりませんよね。…不思議です。とある説では日本書紀が養老4年に出来てからその後ある天皇がそれまで記載のあった内容を改変又は削除して新たな日本書紀を作ったと言い、理由は自分たちに不都合な氏族を抹消するために消し去ったと!しかし付随していた帝王系図にはその消された内容の系図が記載されているので対処として。この「多人長」の「弘仁私記序」には「延暦年中」(八世紀の終わりごろ)のこととして、「図書寮」や民間にある『書紀』を調べたところ本体三十巻と「帝王系図」一巻のほかに、更に別の「帝王系図」があるのが発見され、その中では「新羅や高句麗の人間が天皇になったり、民間人が天皇になったりしたことがある」などと書かれていたので、「禁書」とみなされ、民間にあるものについては捜索し、「焚書」(焼く)とするよう下命が出されたが、いまだに残っているようだ、と書かれています。「世有神別紀十卷,天神、天孫之事,具在此書.發明神事,最為證據.然?紀夐遠,作者不詳.夐,遠視也,?正反.自此之外,更有帝王系圖.天孫之後,悉為帝王.而此書云,或到新羅高麗為國王,或在民間為帝王者.?茲延?年中,下符諸國,令焚之.而今猶在民間也。…」この様に撲滅作戦を決行したみたいです。この説が正しければこの未記載の5番目の一書口が日本書紀に無いのも納得できます。この記事はあくまでワンココ個人の見解に成りますのでご理解の程、宜しくお願い致します。BYワンココ