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李舜臣の生い立ち

李舜臣の生い立ち


父は李貞(ジョン)、母は草渓卞(ビョン)氏で卞守琳の娘である。ソウル乾川洞で誕生した。李舜臣の本家は忠清南道牙山市塩峙面白岩里であるが、幼年時代は乾川洞で育ったようである。

李舜臣の家系は高麗時代の官吏李敦守から続く文班家門で、李舜臣は李敦守の12代目に当たる。李舜臣の家門は4代目の時、朝鮮時代に入ってから頭角を現した。

しかし祖父である李百祿(イ・ベンノク)が趙光祖(チョ・クァンチョ)などの至治主義を主張する小壮派士林達と意志を同じにし、 己卯士禍で惨刑に処されてから父李貞も官職に就けなくなってしまい、李舜臣が生まれた頃には家勢は衰退の一方だった。

しかしながら李舜臣が後の名将として大きな功績を残せたのは、幼年時代に母卞氏から大きな影響を受けたからである。卞氏は賢母として息子娘を愛しながらも家庭教育を厳格に行った。

李舜臣の兄弟は羲臣(ヒシン)、尭臣(ヨシン)の二人の兄と、弟の禹臣(ウシン)の4人だった。兄弟の名前の由来は継名の臣の上に三皇五帝の中の伏羲氏の羲・尭・舜・禹王を時代順に付けたものである。









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