テーマ:ペットロス(137)
カテゴリ:いぬ +ねこ
ペットロスというものに「定義」があるのなら
私の場合は少し違うのかもしれないし 重度のペットロスなのかもしれない。 多頭飼育の私には やはり多頭飼育の知人が何人もいる。 彼らは、何故か失ったことに涙も見せずに カラリと喪失の事実だけを話してくれる。 今回は犬だったので 元ブリーダー業の人たちにも連絡した。 いわゆる悪徳なブリーダーではなく、ちゃんと犬のことを考えている人ばかりで ちゅぴの仔犬を育てていた人たちでもある。 だが、彼らは死を悼むことはできても悲しむ力はないのだと感じた。 あまりに多くの命を見送ると感覚が麻痺してしまう。 そうしないと心が壊れてしまう。 生物として当然の自己防衛能力だ。 ところが、この「心が壊れる」という状態を私は病によって経験済みである。 つまり、平たく言うと精神疾患を持っている。 そのせいなのか、なんなのか、とにかく麻痺しにくいのだ。 何匹見送っても、いつまでも辛くて悲しくて それだけ多くの命を抱え込んだ己の甘さを呪う。 ペットを遺して逝くよりは 見送る方がいいに決まっている。 ただ、見送ることに今は疲れてしまった。 この数年、毎年毎年 3~5匹という数で犬猫が逝ってしまう。 死なない命などないし、老いない命もない。 可愛く、大切な家族は必ず死という結末を迎える。 駆け回り、愛くるしい動作を見せてくれている時間はいい。 その時間が楽しければ楽しいほど 居なくなった喪失感は大きいのではないだろうか。 未だ4匹の猫の命を抱えながら 何事もなく年が暮れてくれることを祈っているけれど 来年の今頃にも「4匹の猫がいる」保障はどこにもないのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.02.18 11:08:04
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