カテゴリ:家族
そーいえば、むすこっちの話題がない!!
別居中なのでしょうがないけど・・・。 なので このへんで、昔話をば・・・。 え?別に聞きたくもないって? まぁ、そー言わずに!! むすこっち、今年二十歳、 今の身長192cm でかっ!! あれは1985年のこと、 ワタクシ、 自慢じゃないけど妊娠中17kg太りました~。 でもね、知り合いに25kg太った人もいたので、 ちょっと安心したりして・・・(あほ~) 手足も相当むくんでましたから 母子手帳には、 さんざん「塩分・水分制限」などと 赤字で書かれたものです・・・(イヤね~) さぞかし中身は大きな子だろうって? いやぁ、殆ど自分についていた訳ですが、 それでも息子はやっぱり大きい方でした。 出生時の体重3800g、身長55cm でかっ!! まぁ退院までに10kg 減っていましたからマァマァですが・・・ 子供が4kgでしょ・・・ あとの6kgは羊水とか胎盤とか?? ・・・・・・・・・・・・・・・・・ ここでちょっと基礎知識をば。 <妊娠中の体重増加に含まれるもの> 循環血液量の増加1~1.5kg 胎盤の重さ500~750g 羊水の重さ800~900g 子宮の筋肉の重さも1~1.5kg 乳房の重さ0.5~1kg これで4~5.5kgですか~! その他に、 母乳を出すためにある程度の脂肪を 体内に蓄積する必要もある(1kg程度) ふむふむ。 赤ちゃんが3kgだから 8~10kg程度の増加に抑えろとなるわけですね~。 なるほどぉ~~! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ しかし、お産は大変でした。 予定日が2日過ぎた日に破水して、即入院。 それから生まれるまで、陣痛室に丸二日。 いやぁ、長かった!! 入院した日は夕方だったので、 すぐに会社からぶっとんで来た夫も、 あとはしっかり出勤してましたわ~(笑) 微弱陣だったようで、 いつまで待っても陣痛が来ない。 病院の階段を昇り降りしなさいとまで言われて、 歩きましたよ~~。 陣痛が来てからも更に9時間ぐらいかかったかな。。。 はぁ~、やれやれ!! 予定日の1週間前に実家に帰るまでは、 自宅近くの産婦人科医に診て貰っていたんだけど、 その医者が 「○ン○ンが見えませんね~」 なんて言ってたもんだから、 私はてっきりオンナだと思って、 ふとんも肌着も全部ピンクにしてたのさっ。 それが、生まれてきたら、 「元気な男の子ですよ~~」 いや、もうびっくりでしたわ~~~!! まぁ元気ならこの際どっちでもいいんですがね・・・ ピンクのおふとん~~(爆) しかしそのあと、実はワタクシ、死にそうな目に・・・。 実家近くのこの病院、 出産後、分娩室からまた元の陣痛室に戻り しばらく様子を見ることになっているらしい。 で、母も生まれる前に来てくれてたし、 安心してまどろんでいたら、 なんだか頭がふら~~~っとして 意識がスゥ~~ッと遠のいて行くじゃありませんか・・・ あ~、なんかヘン・・・ それだけは言えた。 私の顔がみるみる真っ青になっていくので 母が慌てて看護婦を呼びに行ったらしい。 それから バタバタと人の行きかう光景が 無音で 視界にはいる。 看護婦が私の掛け布団をめくって、 青くなっている。 どうやら大量に出血しているらしい。 せっかく縫ったあそこに・・・ また綿を出したり入れたり・・・ 意識は遠かったけど、 気絶しているわけじゃないので、 それがものすごく痛かったのを覚えている!! そして輸血!! もともと腕の静脈が細くて、 血管が見つけにくいタチなので、 こんなときは尚更だったのでしょう・・・ 気が付いたら手の甲に点滴が・・・ これもまた痛いんだ!! 付き添っていた母は心配で 心臓バクバクだったそうです。 生まれたばかりの赤ん坊残して、 死んじゃうのか・・・って。 動転して 夫の会社に電話するのも忘れていたそうな。 当時は携帯がなかったからね~。 結局1600ccほど輸血して一命を取り留めました。 ふぅ~~~!! やっと母から電話で知らせを聞いた夫、 出産→大出血→無事という 母の説明が要領を得なくて、 ホントのところ無事なのかどうなのか・・・ 慌てて病院へ。 私の顔を見るまでは、 生きた心地がしなかったってさ・・・。 やれやれ~。 分娩後に大量出血するのを 弛緩出血と言うそうです。 私の場合は胎盤が大きかったから、 そのはがれた面積も大きくて、 そこから大量に出血したのだろう、 という主治医の話でした。 ちなみに私の胎盤は1kgぐらいあったそうです(笑) (普通は500~750g) いやぁ~、大きな胎盤だったから 胎児に栄養が行き渡って、 それで息子があんなにでかくなったのか・・・(笑) 続く・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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