カテゴリ:ビジネス系
以前ここで、「人は見た目ではない」って話についていろいろ考察したけれど
最近、さらに深く重く身にしみて感じて分かってきたことがある。 「見た目」と言っても「外見」の顔の作りや身なりの話ではない。 (一見)人当たりがよさそうだ (一見)気持ちよく受け入れてくれてる対応 (一見)批判的 (一見)とっつきにくい (一見)頼りになる (一見)軽そう (一見)重そう そういうのってあまり意味が無いってこと。 これまでその(一見)に誤魔化されて先入観で損してた気がする。 例えば、一見気持ちよく受け入れてるのは・・・ 立場上そうしてるだけどか、自分だけにではなく誰にでもそうであるだけとか、 そこはいいけれどだけどその先全然動かないとか、他所では悪く言ってるとか、 うまくあしらわれてるだけとか、そこが特技的に上手いとか。。。 (一見)は(一見)でしかない。 (一見)いい印象、(一見)悪い印象 それで全てを分かったような気になってはならない。 (なってもいいけど自分が損する。事実と違う情報で色眼鏡をかけて結果の出ない行動してしまうから) 数回会っただけの人を「あの人いい人だよ」って言う話のなんて軽薄で無意味なことか。 (昔は私もそういうことを言っていた気がする。恥ずかしい。) そう感じるのならそれは、一見人当たりのいい人ってことに過ぎないのに、 (一見)の部分だけを見て分かった気に成ってるだけ。 その先入観は実際はいいものであっても、悪いものであっても それに大きく左右されてしまうと仕事では結果が出せない。 自分に一見都合が悪い反応すると変に毛嫌いしてしまうし、逆に 自分に一見都合がいい反応する人はその先も相手不在の勝手な期待をする。 「一見」に左右されず、OKな部分と期待できない部分と ひとつひとつ見ていかないと判断や采配を間違い結果が出せない。 ホントに人は付き合って見なければ分からないものだ。 p.s.しかし、逆に言えば、それだけ影響を与える「一見」はある意味大事ではある。 人は「一見」にどれだけ左右されることか。。。。 そしてその是正のどれだけ大変なことか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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