カテゴリ:日常系
実は私は自分の母がお墓に入ってから墓参りに行ったことがない。
そこに母は居るとは思っていないし。 そういえば火葬の時は、昔は全部の骨を入れないと寂しいだろうと思っていたけれど 母の時にはそんなことは思わなかった。一応入れるから綺麗なしっかりした部分だけ シンプルに入ればいいと。仏壇に骨壷にを置いてあってもそれが特に母だとは 思わなかった。身体があるときにはまだ母という気持ちはあったけれど 骨になった後は、それこそ母の抜け殻でしかない感じで・・いや それより母らしい遺品の方がより母を感じたくらいだったかもしれない。 余談だが、結婚してから10年、毎年盆正月は夫の実家から更に往復3時間程かけて 婚家の母のお供で夫と3人で奈良公園の横の三笠霊園までお参りに行くのだが、 それはお母さんが行くから親孝行とお供で行く以上ではない。 もちろん行くからはしっかりやることはやるけれど。 行ってるお母さん自身も死後の世界なんか特に信じないけれど 自分の夫のお母さんのお墓だからと長いこと毎月月命日に参ってたって 感じで、長男の嫁としての役割だと思ってしっかりやってる感じかな。 夢に出てきたり、そうでなくても目を閉じたら、いえ、何かふと思ったときに 母はいつも心の中にいる。というか自分の身体や考え方やの一部だなと 日ごろからつくづく思い起こす。買い物してても「これ母の好きな色だな」 とか、好きな陶器だなとか、こんなことしててたら、うぎゃぎゃっって たしなめられるだろうなとか・・・・ 危篤の時に病院で手を握っていたときより今のほうが ずっと一緒に近くにいるようにさえ感じる。 今日TVで初めて「千の風」の歌詞を見ながら歌を聴いた。 この歌は亡くなった人からのメッセージだけど 亡くした側も同じ様に思ってる感じてる自分がいるなと思った。 無宗教で死後の世界とかも信じてないからかな? 母が墓にいるなんて思って行っても反って空しくなるようにさえ思えて。 実際母の声を聞いても 「別にお墓には来んでもよかよ」と言いそうでもある。 私が死んでもダーに墓参りをして欲しいとも思わないかも。 ただ、日ごろ忘れてるのなら、たまに墓参りして思い出してくれよとは 思うかもしれないけれど。 >私のお墓の前で 泣かないでください >そこに私はいません 眠ってなんかいません >千の風に >千の風になって >あの大きな空を >吹き渡っています これは言ってるのが亡くなった人自身だからいいけれど あなたは明らかにそこに居ないから墓に行く気ってどうしてもしないのよね なんて歌詞だったら逆にたたかれるかもだ。 この歌っていろんな面から考えて感じてほんとにいい曲だなって 今日歌詞を見ながら聞いてやっと心に届いた。これまでは 歌だけ聴いても低音が響きすぎてか歌詞が良く分からずあまり心に届いてなかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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