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2008.01.27
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カテゴリ:心象風景

自分の精神や考え方の至らなさに気づいて発憤してがんばることが多かったのですが、その状態から脱却することが出来ました。

例えば山の頂上から見た景色と5合目くらいで見る景色の広がり方の違いのように、以前より広く見られるようになったと思います。

人間であるとは「精神や肉体の限度」に縛られるのは仕方ないことでしょうが、それを突き抜けたところにある「本当の自分」「神聖さ」を見つけることが出来ると思います。

自分の至らなさから「努力する気持ち」がわき上がってきたことは事実ですが、それは周囲の人達へも向けてしまいます。

身近な人、子どもや配偶者には特にきつく、あたることになります。「自分も努力しているんだから、あなたも自分の至らなさに気づいてもっと努力してよ」と思ったり、言葉態度で表します。

でもそれは、逆効果だし全然平和な感情も関係にもなっていきません。

といっても「神聖さ」だけを感じる毎日であっても、比較対象する気持ちや経験がないと「神聖さ」も分からないのも人の性質。

どんなことも比較しないとそのものが何か?ということが人には分からないようになっているのでしょう。

世の中で「飲酒運転で事故を起こす」人が絶えないのは刑罰が生ぬるいのでなくて「自分の神聖さに耐えきれない」から飲酒して、自己を忘れついでに他人の命も終わりにするという「神聖さの正反対」の感情・体験をしたいからなのでは。

 


これまで私は自分の観念への挑戦という立場で、人生を過ごしてきましたが、これからは「神聖さの表現」で暮らしていくことにしました。

 

神聖さというのは、どんな表現ができるのでしょうか?

比較対象した「優しさ・誠実さ」ではなくて、そのものずばりの「優しい・誠実」ということでしょうか。

また「他人のためを思って」という考えでなくて「自分のために」徹することも大事だと思います。

私には他人の役に立ちたい、社会に貢献したい気持ちはもちろんあります、でもその気持ちは自分の中にあるから結局は自分のために働くことになります。

 

 

 






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最終更新日  2008.01.27 16:42:56


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