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次に読みたい本が、光野 桃さんの、こちらの著書。↑ 最初、タイトルが今までと違いストレートで、ちょっととまどい、手に取らずにいました。
でも久しぶりに、光野さんのHPを訪ねたら、この本の立ち読みのコーナーがあって、 ずっしりと重い中身に、あっいつもの光野さんだと安心しました。 初めの部分だけご紹介させて頂きます。
スピリチュアルというものの、わずかに尻尾のようなものに初めて触れたのは 2001年の初夏のことだった。 その前年の暮れ、夫が突然バーレーンに転勤することになり、わたしは娘とついて行く べきかどうかを考えていた。行くか、行かないか、選択肢は二つあった。 ミラノに移住したときと状況は大きく変わり、娘は中学2年、その先の進学のことなどを 考えれば多くの家族は「行かない」選択をする年齢である。わたしも仕事の忙しさが ピークに達していた。「行く」という選択はどう考えても無謀なような気がしたが、わたしの 中にこれはチャンスなのではないか、という声が聞こえていた。逃げ出すチャンスなのだ、と。 それまで10年間、走り続けていた。そしてもうほとんど息切れし、エネルギーが 切れかかっていた。1カ月に30本ほども締め切りがあり、疲れきっていた。書いても 書いても満足できず、自分を責め続けた。ついてしまったイメージ通りの服装をして、 にこやかに講演やサイン会をこなしたあとは、その服を引き裂きたいような衝動にも 駆られた。本当の自分ではない、イメージの自分を生きることに疲れていた。が、 そのイメージが仕事を呼ぶと思えば、着ぐるみを脱ぐように簡単にはいかず、 自分で作り上げたそれが肥大し一人歩きし、どんどん重くなり締め付けてきても、 ただもて余すばかりだった。 幼い頃から、今日より明日は一歩でも前進していなければいけないと思って 生きてきた。いま思えば、それはわたしの本質から出たものではなく、親の影響も 大きかったように思う。何事もきちんとよくできる優等生タイプの母親に対して、 いつも前向きで努力する子どもと思われたかった。母も、その本質は自由でパワフルで 少女のようなひとであったといまは思うが、当時は誉められた記憶がない。 できて当たり前という親に、誉められたくて一生懸命だった。 幼少期に敏感に感じ取った親の期待と、そう生きようとする習性は、大人になり、 40代後半になっても簡単に消えるものではなかった。本当はなまけもので、ぼんやり 空想の世界に遊んだり、ひとり野原で踊ったり、木の上で本を読んだりすることが 好きだったから、そんな自分を「よくない」とする気持ちは物心ついたころからあった。 前進こそ善であり、後退はあってはならない。なまけものは許されないのだ。 しかし、もうどうがんばっても思うように書けなくなっていた。パソコンに向かうたびに 鉛の塊のようなものが胸から首にかけてびっしりと詰まっているのを自覚した。今日より 明日が一歩でも前進できなくなったとき、自分という人間には、もう価値がないのだった。 ------------------------------------ それでも、セラピストの方に、最初会った時、 「驚くほど女性性が傷ついている」と言われたことに、驚きました。 旦那様から愛され、たっぷりの母性愛で、お嬢さんを育ててらっしゃるだろうに、 女性性って、それだけじゃないんだと、漠然とは分かっていたけれど 改めて気づかされます。
光野さん、また素敵な本を書かれたなと思いました。
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Last updated
February 9, 2008 11:32:43 AM
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