廃止された「のじぎく療育センター」
たいちゃんが生まれてから14年間通った「兵庫県立のじぎく療育センター」が今年3月31日に廃止されました。それについて私の思いを書いた文が兵庫障害者連絡協議会ニュース、西区社会福祉協議会ニュースに載りました。 神戸市と三木市の境目にある緑豊かな場所に「兵庫県立のじぎく療育センター」はありました。昭和33年に開設されました。医療法にもとづく病院であるとともに児童福祉法にもとづく肢体不自由児施設として小児科、整形外科、形成外科、リハビリテーション科、放射線科、麻酔科、歯科がありました。県下からこののじぎく療育センターに来院した人に手術や機能回復訓練(理学・作業・言語療法)などを行っていました。長期入院をしないといけない幼児・児童には、保育・生活指導だけでなく、隣接するのじぎく養護学校(幼・小・中)で教育を受けることができ、医療・福祉・教育が一体となって支援され、将来自立できることを目標として運営されていました。また在宅で対応しにくい重度障害児や家族支援もなされていました。 障害を持って生まれた子ども達に必要な治療、とまどい揺れ動く親の心を支え、障害ある子どもの子育ての知恵と生活の仕方を教えてくださいました。骨の病気で1年以上入院する幼児・児童には親代わりとなり精神面を支え、その時期に必要な養育をしてくださいました。福祉面でも短期入所、日帰り支援も行われており、障害児を持つ家庭を支えてくれました。 しかし、ここ数年は入院する人の数が減り、麻酔科医を含む多くの医師の確保も難しくなったという理由で、50年目を迎えた今年3月31日閉鎖され、その機能を小さくして県立総合リハビリテーションセンターに移転されました。私と同様にのじぎく療育センターに全て頼っていた方は多いことでしょう。県立総合リハビリテーションセンターに小児リハが開設されましたが、今までと同様な医療・福祉・療育がうけられるのかが未知数のところです。次に、のじぎく療育センターが機能移転された後の建物や跡地がどうなったか気になるところです。 その建物を利用して隣接する学校の高等部ができることになりました。当初、のじぎく療育センターの建物を改修して平成21年度4月には高等部になりたくさんの生徒が入る予定でした。しかし、耐震性が足りないということが今年になって分かり、建て直しとなり、今年入学した高等部の1年生が3年生になってからの秋にやっと新校舎に入れることになるのです。昨年1年間“改修”ということで設計を進めていたようですが、何故その時に耐震性の疑問が出なかったのでしょうか。昨年1年間の設計費用と時間を無駄にしてしまったのではないでしょうか。建物取り壊しの騒々しく砂埃の中で障害ある子ども達が勉強しなくてはならないのです。騒々しい音で落ち着かずパニックになる生徒も出てくることでしょう。 障害の特性の不理解と、県のその場しのぎの対応とずさんな計画の現れではないでしょうか。ー中略ー我が家の三男は「先天性福山型筋ジストロフィー」と診断され、家が近いこともあり、医療・福祉・学校と「のじぎく療育センター」に全てがあり、生活の一部でした。「のじぎく療育センター」閉鎖後の今は小児科、整形外科、訓練療法、歯科、ショートスティ、学校とばらばらの場所に通っています。のじぎく療育センターに通院していた皆さんもそのようになっていることと思います。とても残念なことです。 しかし未来への発展として私はこう考えています。センターの土地と学校の土地を合わせるととても広大な土地になります。私はこの広大な土地を教育だけの土地にするのはもったいないと思うのです。園芸、農作業、木の剪定、木工、さをり織り、和紙作り等いろいろできる土地がたくさんあります。そして、作ったものや収穫物を売るお店を作ります。地域の方々の生涯学習の場も設け、障害者と交流し、生涯を理解していただく良い機会にもなることでしょう。高等部卒業後の生活を考えると、障害者が就労できるところは少なく、支援施設も少なく満員状態の今、通いなれたこの土地にお友達と一緒に過ごせたらどんなによいかと思います。県が直接運営しなくても法人がこの敷地内で支援施設を運営するという方法もあります。社会福祉法人知的障害者支援施設“三木精愛園”も隣接していますし、肢体不自由の人の支援施設や、就労できる作業所もあるような場所になればよいかと思います。私はそのために今まで県知事、県教育委員会へ要望書を提出してきましたが、今後もできるだけ要求はしていき地域と共に歩んでいきたいと思います。 子どもが14歳になり、病気が進行し少しずつ筋力がなくなり身体が変形していく子どもを見ながらも、少しの成長が見られると大喜びをし、朝には新しい一日を迎えられることに感謝し、夜には今日も一日無事に過ごせたことを感謝する毎日です。障害や病気がなくても生きるのに大変な状況の時代ですが、“今”を大切に、そして“今”できることを行い、障害ある子どもの人生、家族の人生、そして自分の人生を楽しみながら生きていきたいと思います。