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たいちゃん(福山型筋ジス)と私の物語

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あっちゃんのつぶやき 信ちゃんママさん
2013.06.15
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カテゴリ:カテゴリ未分類

昨日、KさんとKさんがうちに来た。(二人ともKさんだった(^_^;))

新型出生前診を受けよう、受けたお母さんにどうアドバイスする? なんて聞かれた。

これって難しい質問ね~。。。

それからなんか気になってしまった。。。

 

 

たいちゃんが授かったのは私が30代半ばの頃。

すでに男の子二人いて、3人目の子も健常で産まれると思っていた。

だけど、違った。

病気がわかった。

なんかおかしい?と感じて病院へ行き、小児科医から「おかしい」と言われた瞬間頭が真っ白になった。

薄暗い廊下でたいちゃんを抱きしめながら泣きに泣いた。

 

何故泣いたか?

ただ単に子供が病気だとわかり、健康に産んであげられなかったこと。

子どもの病気がわかって泣かない親はいない。

その後の暮らしなど想像できる環境になかったから、そういうことを考える余地なく、ただただ悲しかったことだけ覚えている。

でも大泣きしたのはそのときだけ。(ちょい泣きは時々あるよ)

翌日には兄たちに交じって3人で一緒にいる様を見て悲しみが治まった。

何があっても育てるしかないじゃない。私の子だもの。

その想いは今も同じ。

育てている中で、小さな成長を喜ぶことができる有難さ。

だけど、しんどいとき、夜寝れないとき、物事をプラスに考えられない状況になったときは、心は「振り子」のように悲しくなる。

でもそれは生活のなかでの思いであって、子どもを愛する気持ちは変わらない。

むしろ愛する気持ちは強くなってきたように思う。

 

今、出生前診断のことが言われているが、妊娠した女性にどう声を掛けるかと言われると、「ん~」と考え込んでしまうが、

もし、「あのころの私」に今の障害ある子どもを20年近く育てた私が声をかけるとすると、

「病気・障害ある子は、健常の子は持っていないものを握って生まれてくる。

それは目に見えないものだけど、確かなものを握って生まれてくる。

あなたはそれを受け取れる親として選ばれ、それが何かがわかるころ、あなたは今までと違う世界を見るようになる。

健常の子を育てる暮らしを「普通」というならば、普通の暮らしはできないかもしれないが、あらゆる人が手を差し伸べてくれ、それに感謝できるようにもなる。

だから、今は悲しくてもずっと悲しんではいけない」

とりあえずはここからかな。

 

昨日の3人での話の中で、 たいちゃんとの地域での暮らしを振り返って見た。

幼稚園小学校でも偏見なく入学できた。

通学路のことでちょっとあったけど、なんとか乗り切れた。

学童にも行けたので、仕事もできた。

地域の人たちにも理解してもらえ、協力してもらえ、私自身今でも地域で活動させてもらっている。

中学高校と特支学校に行ったが、そこでの経験が今の活動の原点になった。 

仲間、友達もいっぱいできた。

やはり、障害あろうがなかろうが、地域で育てることが一番いい。







Last updated  2013.06.15 18:04:06
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Re:あのころの私へ(06/15)   kan23 さん
makotaさん、
昨日はおいしいご飯と、そしていろんなお話を聞かせてもらって、ありがとうございました!

「地域での暮らし」がどんなものだったか、やっぱりおうちへ行かせてもらって、あの小学校との距離をみて、それで感じられるものもありました。お兄ちゃんたちの話も、聞ける機会があればなあと思います。

気持ちが振り子のように揺れるのは同感です。
悲しいことも困ったこともあったりするけど、それだけじゃないと思えます。 (2013.06.15 20:51:35)

Re[1]:あのころの私へ(06/15)   makota0881 さん
kan23さん
コメントありがとうございます(^^)
そして昨日はありがとうございました。
ちゃんと質問に答えられていなかったように思いました。
人の想いの深いところなんて簡単には答えられないですね~。自分でもわかっていないこともあるし、このブログに書いたことも心の内の全部ではないですよね。言葉では・・・表現しにくいですね。。。

特支学校での話しあんまりしなかったですね。
中学部のときは、専門の学校であるにも関わらずものすごい偏見の渦が巻いてたのですが、併設の療育センターが廃止され、高等部になってたくさんの人の目が入るようになってからは良い学校になっていきました。
この6年間のマイナスとプラスの社会の経験は、自分の中の何かが目覚めたような、そんな風に感じます。

私の場合は、地域で偏見にあったのではなく、障害専門の閉ざされた中で偏見に出会いました。そう思うと「かんかん」と同じですね。

私のmakotaという名はね、3人の子ども達の名前を使っているの。ちょっといいでしょ。 (2013.06.15 23:00:23)

Re:あのころの私へ(06/15)   シサムの桜 さん
日曜日にお逢い出来て嬉しかった(*^_^*)

K・Kさんの訪問は、正しくカンカンですね(笑)
皆さんが大変な思いで我が子を育て居る時に、私は施設に預けていたので、敷地内の分校に通学といってもベットサイド授業の多い息子でしたが、現在、地域で団地の自治会の思いやりも有り快適に過ごしております。

息子の【僕は生きる】の気持ちに支えられており、私自身も感謝の気持ちでボランティアが出来ていると思います。

在宅になって本当に人の輪・絆が増えて良かったと思い、全て息子のお陰です。
今後とも宜しくお願い致しますね。 (2013.06.18 17:44:06)

Re[1]:あのころの私へ(06/15)   makota0881 さん
シサムの桜さん
わたしもです! お会いできてよかったです(^^)
これで顔と名前は一致しましたね^^

桜さんは、まさしく在宅移行ですよね。勇気いったことだと思います。
でもそうしたかった桜さんの想い、息子さんの想い、本当に私の胸にビンビン響きます。

別々に暮らすより、一緒の方が支え合って生きていける、そう思います。

これからもよろしくお願いします(@^^)/~~~ (2013.06.18 21:32:39)


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