カテゴリ:路線レポート・鉄道その他
「その3」では大正時代の車両を掲載していきます。
1913年(大正2年)から中央線・山手線などの電化区間で活躍した「ナデ6141」です。先述した「デ968号→ハニフ1」が活躍していた中央線では利用者の増加によって車両も大型のものが要求されるようになり、当時の鉄道院は独自設計の電車として「ホデ1→ホデ6100→デハ6250」を登場させました。これは16メートル級の木造車体を持つ電車で、デ968などよりも大型の車体を採用していたため一度に多くの旅客を運べるようになりました。 ここに展示されている「ナデ6141」は、16メートル級車両の増備の過程で大正2年(1913年)に登場しました。両運転台で、片側に3つの扉を備えています。製造は鉄道院新橋工場(のちの大井工場→現在のJR東日本東京総合車両センター)が担当しました。 ナデ6141の車内です。木造車なのでニス塗りとなっており、重厚感があります。天井は二層式(ダブルルーフ)となっており、座席はオールロングシートです。 この車両は鉄道院から目黒蒲田電鉄(現在の東急電鉄)に譲渡され、さらに鶴見臨港鉄道(現在の鶴見線)→日立電鉄と譲渡されました。国鉄が昭和47年(1972年)の鉄道100周年を記念して日立電鉄から引き取り、製造元の後身である大井工場で復元したうえで展示されています。 電気機関車ED40 10号です。1919年(大正8年)に登場した国産初の電気機関車で、鉄道院大宮工場(現在のJR東日本大宮総合車両センター)で製造されました。 この機関車は信越本線横川~軽井沢間(1997年廃止)のアプト式(線路の真ん中に凹凸のあるラックレールを敷き、車両の下部に設置された歯車と嚙み合わせることで急勾配を登る方式)区間専用に導入されたもので、箱型の車体を持つ独特なスタイルが特徴的です。 碓氷峠での運用終了後に東武鉄道に譲渡され、同社の日光軌道線(1968年廃止)で貨物列車を牽引していました。日光軌道線の廃止後に国鉄に譲渡され、製造を担当した大宮工場で保存されたのちに鉄道博物館での展示が決まりました。 電気機関車ED17 1号です。1923年(大正12年)にイギリスから輸入した機関車(製造元はイングリッシュ・エレクトリック・カンパニー)で、東海道本線電化の際に導入され、主に旅客列車の牽引に使用されました。東海道本線時代は「1040形→ED50形」でしたが、中央本線への転属に合わせて改造が行われ、「ED17形」に変更されました。 中央本線で活躍した後は身延線などに移り、廃車後は山梨県甲府市の舞鶴城公園に展示されていたものをJR東日本が引き取り、鉄道博物館で展示されることになりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.01.21 20:14:45
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