*陳情書(鷲宮町議会あて)*****はじめに***** 以下の文面が議会あての陳情書に記された内容です。 いつの日かどこかの市区町村で、鷲宮町と同じような問題が持ち上がったときに 「学校給食に弁当の日を設けることについて」の決議撤回を要求する陳情書
【陳情理由】 (※一)決議文に対する具体的な指摘事項・反論は補足資料一「決議文に対する指摘事項・反論」を参照。 平成十八年 三月 九日 鷲宮町議会 鷲宮町の子育てを守る会 鷲宮町**** ****(捺印) 署名数 町内有権者 4964 □■□■□補足資料について□■□■□ こちらはA4用紙にヨコ書きで提出しました。 (※一)補足資料その1
決議文に対する指摘事項・反論 決議文とは昨年決議された「学校給食に弁当の日を設けることについて」を指す。以下同じ。 本書の主たる目的 決議文の内容があまりにも稚拙で事実誤認が多く、これに対する反論および過誤の指摘を行なうものである。 決議文に対する指摘・反論 以下に決議文を全文引用し、ひとつひとつの文章に対する指摘・反論を行なう。 <凡例>・黒は決議文中で誤りがないと思われる文章。 ・青は決議文中で誤りがある、または論証を必要とすべき文章。 ・→赤は上記文章に対する指摘・反論。 近年、教育問題のひとつとして、「食育」に関する意見や世論が高まっている。これは、これまでの知育・徳育・体育の三育に新たに加えられたものであり、食育が人間の成長・体質ばかりでなく、教育上の影響力も大きく、重要視されはじめたことによるものである。 →論拠が不明。食品の安全性でということであれば理解できるが、この決議文に食品の安全性についての 特に、最近は子どもが親を、親が子どもや肉親等を傷害・刺殺するといった悲しい事件が多発しており、子どもに対する親子の関係の愛情不足が引き金となっているといわれている。 →犯罪件数はむしろ減少傾向にある。以下のサイトで確認されたい。 また、彦根市の研究は注目に値する。「学校給食実施率と補導あるいは不登校率との相関関係」。 http://f59.aaa.livedoor.jp/~tujihasi/gikaihoukoku.htm この問題は、愛情だけで片付けられる種類のものではない。さらに、「食育」の論旨にこの一文を含めることで、 このように食育の意義が重視されるに至った中で、3度の食事のうちのひとつである学校給食の意義も見直す必要に迫られている。 →「迫られている」とすることで、本来ならば時間をかけて議論すべき、問題解決までのプロセスを すなわち、戦後の食糧難時代に生まれた学校給食制度は、 →学校給食の原型は明治時代に求められ、太平洋戦争中一時中断されていたものの、 50年を経過した現在も未だに継続されているが、もともと各家庭の食事を補完する目的で創設された制度であり、今日の豊かな時代を迎え、その使命を十分果たし終えたものと思料される。 →量的側面・カロリー面・衛生面などからみた場合、豊かな時代であることは疑いようのないところであるが、 前項でも触れたが、そもそも「各家庭の食事を補完する目的で創設された制度」との前提が誤りで 本議会は、下記の理由により「学校給食に弁当の日」を設けるべくこれを推進するように求めるものである。 記 1 戦後60年を経た現在、学校給食はこの間十分その役割を果たし、見直しの時期に来ているものと判断する。 →前項で指摘したので省略。 2 学校給食は、半ば強制的、画一的に実施せざるを得ず、そこには自由に選択する余地がない。 →これを「画一的」とするか「平等である」とするかは議論の分かれるところではあるが、 三度の食事は、本来各家庭が自己責任のもと用意すべきものであり、第三者である学校が分担すべきものではなく、自由選択制があるものである。 →意味不明。福祉の概念が欠落している。 3 学校給食による、食中毒などの伝染病予防は学校教育の範疇を超えて、管理責任を全うすることは、社会的にも財政的にも限界がある。 →食中毒予防措置も子どもに対する教育的効果を認めることができる。弁当にしたところでその意義は 学校の管理責任を全うするとはどの範囲までを視野にいれているのか全く不明確。 4 学校給食における残滓の量は約15%(年額3700万円に相当)が普通であり、厳しい財政状況の中でこの対策が求められるが、現実はいくら工夫しても限界がある。これは学校給食が時代にそぐわない存在となりつつあることを示している。 →限界を自ら設定してしまうことは、子どもの模範であるべき大人として最も恥ずべき行為である。 給食と同じメニューを弁当で作成して残滓が町総量として減少するのであろうか。 5 学校給食の時間は35~50分と各校さまざまであるが、配膳の準備、後片付けの時間も含まれ、正味の食べる時間は極めて短いものとなり、小中学生の年齢により格差がある。時間が不足し、食べ残しの原因ともなっている。また、この準備・後片付けの時間は正規授業時間や休み時間を短くしている。 →最も工夫できるところではないのか。ゆっくり食べさせるのも「食育」のひとつでは。 6 食べ物を作り、これを子どもに与えることは、いわゆる食育であり、食べ物を作る前の材料を購入する段階から親子の会話が成立し、子どもが調理を手伝う等、そこには親子の会話があり、愛情が双方に生まれる。 →これは通常の家庭での食事で実現できることである。休日に家庭で弁当を作り公園で 7 弁当は、個人個人さまざまであり、そこには、友達同士等の会話、友情が生まれる。同じ給食を食べていてはこのような現象は起こらない。相手を思いやり、助け合う心が生まれる。 →弁当がなければ、友達同士等の会話、友情が生まれないのか。これは給食ではなく学校教育に 8 給食センターが不要になれば、経済効果は大きい。 →経済効果を謳うのであれば、その根拠となる数字を提出すべき。どの程度の効果が 結語 このような決議を産み出した鷲宮町議会について町民として深く恥じ入るとともに、 子どものためであるなら猶の事、可能な限り正確な資料に基づく議論を行なう、 (※二)補足資料その2 論証「決議文が法の趣旨に反していることの証明」 決議文とは昨年決議された「学校給食に弁当の日を設けることについて」を指す。以下同じ。 【提題】 地方公共団体の役割として求められている「福祉の増進」をすすめるには、「議会の議決を経てその地域における総合的かつ計画的な行政の運営を図るための基本構想を定め、これに即して行なうようにしなければならない」と地方自治法第2条の4項に定められている以上、町議会の決議が実質的効力を発揮している現実を鑑みると、決議文中に ・地方公共団体の役割である「福祉」の増進 ・福祉実現のための「学校教育」「学校給食」 を否定している内容が書かれていることは、決議文が法の趣旨に反していると言える。 【論拠】 1.町議会の法的位置付け ●日本国憲法 第93条 地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する ●地方自治法 第1条の3 地方公共団体は、普通地方公共団体及び特別地方公共団体とする。 2)普通地方公共団体は、都道府県及び市町村とする。 第2条 地方公共団体は、法人とする。 第89条 普通地方公共団体に議会を置く。 つまり、町議会は地方公共団体という法人に設置された議事機関である。
2.議会の権限と決議の実質的な効力 ●地方自治法 第96条 普通地方公共団体の議会は、次に掲げる事件を議決しなければならない とあるが、町議会の議決を経た決議文は法人格を有する町の内部意思決定に過ぎず、町の行為として効力を有するものではないと言える。が、しかし、 ●地方自治法 第2条 4 市町村は、その事務を処理するに当たつては、議会の議決を経てその地域における総合的かつ計画的な行政の運営を図るための基本構想を定め、これに即して行なうようにしなければならない とある以上、町行政は議会決議を無視することはできないのである。これはつまり、決議には法的拘束力はないものの、町行政に直接または間接的に影響を与えることを意味している。また、決議文を発端として引き起こされた一連の騒動の存在は、決議文そのものおよび議決されたという行為自体に、鷲宮町内部においては実質的な効力があったものと推定できる。
3.地方公共団体の役割と学校教育の目的 ●地方自治法 第1条の2 地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする。 ⇒地方公共団体は「地方自治の本旨」に基づいて住民の福祉の増進を図ることが求められている。 ●教育基本法の前文 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである ⇒人類の福祉実現のための教育の重要性 ●学校教育法 第十七条 小学校は、心身の発達に応じて、初等普通教育を施すことを目的とする。 第十八条 小学校における教育については、前条の目的を実現するために、次の各号に掲げる目標の達成に努めなければならない。 一 学校内外の社会生活の経験に基き、人間相互の関係について、正しい理解と協同、自主及び自律の精神を養うこと。 二 郷土及び国家の現状と伝統について、正しい理解に導き、進んで国際協調の精神を養うこと。 三 日常生活に必要な衣、食、住、産業等について、基礎的な理解と技能を養うこと。 四 日常生活に必要な国語を、正しく理解し、使用する能力を養うこと。 五 日常生活に必要な数量的な関係を、正しく理解し、処理する能力を養うこと。 六 日常生活における自然現象を科学的に観察し、処理する能力を養うこと。 七 健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養い、心身の調和的発達を図ること。 八 生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸等について、基礎的な理解と技能を養うこと。 第十八条の二 小学校においては、前条各号に掲げる目標の達成に資するよう、教育指導を行うに当たり、児童の体験的な学習活動、特にボランティア活動など社会奉仕体験活動、自然体験活動その他の体験活動の充実に努めるものとする。この場合において、社会教育関係団体その他の関係団体及び関係機関との連携に十分配慮しなければならない。 ⇒小学校における教育目標 ●学校給食法 (この法律の目的) 第一条 この法律は、学校給食が児童及び生徒の心身の健全な発達に資し、かつ、国民の食生活の改善に寄与するものであることにかんがみ、学校給食の実施に関し必要な事項を定め、もつて学校給食の普及充実を図ることを目的とする。 (学校給食の目標) 第二条 学校給食については、義務教育諸学校における教育の目的を実現するために、次の各号に掲げる目標の達成に努めなければならない。 一 日常生活における食事について、正しい理解と望ましい習慣を養うこと。 二 学校生活を豊かにし、明るい社交性を養うこと。 三 食生活の合理化、栄養の改善及び健康の増進を図ること。 四 食糧の生産、配分及び消費について、正しい理解に導くこと。 ⇒学校給食の目標 ★「福祉」という概念から導き出される、学校給食の重要性の再認識 学校給食の原型は明治時代に求められ、その基本的精神は戦後60年を経た現在でも一部生き続けていると考えられる。それは「福祉」の精神である。家庭で満足な食事を摂取することのできない子どもは、ゼロではないのである。 4.決議文の論旨 福祉という概念を蔑ろにしているどころか、学校教育不要ともとられかねない論理を展開している。これは町行政に実質的効力を持つ決議文が、地方公共団体の主たる目的の一つである住民の福祉の増進に対して、正反対の方向にあると言わざるを得ない。 以上のことから、決議文が法の趣旨に反しているのは明白である。
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