カテゴリ:民泊
前回は、区が法の解釈を間違えた例について書きました。その後どうなったかをお知らせします。
驚いたことに、区は、間違えた解釈のまま廊下を広くしなければ確認申請を下ろさないと言います。理由は「今回解釈に誤りはあったが、今まで、区では、このように解釈してきたので、今回だけ変えるわけにはいかない。」とのこと。驚きです。よくもまあ、こんなことが言えるものです。間違ったのは、役所の責任なのに訂正せず、今まで間違いを押し付けられた人と同じように被害を被りなさい。という事! 誤ったことをやめることができない。正誤の感覚が麻痺しているのでしょうか?一人ひとりの職員はそんなことは無いと思うのですが、何故なのでしょう?間違いでも一度決めたことは変えられない。という事なのでしょうね!悲しいけど。特に建築行政にこういった傾向が感じられるのは私だけでしょうか? ある意味真面目?でも、これぞお役所?こういう組織と付き合っていると、言っている言葉の中のどれだけが真実なのか?どれだけが誤りなのかが分からなくなってきます。本来市民に対して誠実であるはずの行政職員が、実は、組織のために働いているという一面を垣間見ました。 同じ区に建つ建物でも民間の検査機関に確認申請を出したとしたら、不必要に廊下を広くする必要はありません。廊下が不必要に広いということは部屋が狭くなるということです。区の建築主事に「民間と区で判断が違い、区に確認申請を出した場合には、使う人が不便になってしまいます。」と聞いたところ、「それは仕方がない」とのこと。 この区の対応は、どうにかしていると思います。こういう体質のところは、 判断が分かれる微妙な部分はすべて悪い方に考えます。 こういう体質の役人が実質的な裁量権を持っている自治体では、多くの事業者が事業のチャンス、本来得られる利益を失っていきます。 すべての自治体がそうだとは思いませんが、建築確認申請については行政の判断が違っていることが多いと思います。これは、建築の確認申請が完全な羈束行為ではなくある程度の裁量行為とならざるを得ないことによる制度的な結果なのかなと思います。その解決策として、裁量する人の技量をもっと高めるべきという議論もありますが、私はそれは違うと思います。同じことを官民で行うこと事態が問題なのではないかと思います。 つまり、建前は羈束行為ということになっていながら、実際には、一義的に決まらない判断に悩むことが多いのがそもそもの原因です。 今は民間検査が増えてきているのですから、確認申請は民間にゆだねるべきなのではないでしょうか?民間の検査員は、その取扱い件数も多いため、判断する技量も手馴れて早いです。 取り扱いが多ければ正しく判断するのか?と訝(いぶか)る方もいるかもしれんせんが、例えば、あなたが外科手術を受けるときに、年に10件しか手術をしない外科医と年に100回手術をする外科医ではどちらが安心でしょうか?応えは明白です。手馴れた外科医の手術の方が安全ですよね。 行政の確認申請は年に数回しか手術をしない医者にメスを握られているような恐ろしさを感じます。しかも、間違っても、直さないというのですから、手術に失敗してもそちらが我慢してくださいというお粗末さなのです。 「行列のできる法律相談所」「行列のできる〇〇」というように、一義的に決まらないサービスは人気のあるところに集中するのは理由があります。 大切な家やビジネスの拠点を作る時、間違いのない確認申請にしたいもの。そう考えると経験が多くブレのないところに取り扱ってほしいですよね、それが自分や自分の会社の資産を形成しビジネスの拠点となるのならなおさらです。 かなや設計 環境建築家 金谷直政 2017.6.26 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年07月24日 20時04分12秒
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