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陰陽師と式神と私

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2009年06月25日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
前回、額の中央にある霊的な目である「第三の目」が横目に開く危険性について書きましたが、では、正しく「縦目」に開くとどうなるのでしょうか?

「縦目」が開くと「こうなる」と一概に言い切れませんが、
少なくとも正しい直観力を持つことが出来る、と言う事は間違いありません。
その他のことはその人の体質とか、もって生まれた能力などによって異なってくると思います。

そして最も注意しなければならないことは、よく霊的な能力と一般に呼ばれている事、
つまり未来や過去が分るとか、幽霊が見えるとか、前世が分るなどと言うような事は、
99.999・・・%、「縦目が開いている」こととは無関係です。
このような現象は100%、霊障、つまり悪霊に憑依されていることから起きる現象です。

ですから、ここで言いたい事は、「縦目を開く」ことと「特殊な能力」とは一切無関係であると言うことです。

そして更に言いたい事は、「第三の目」を開きたい、などと言う事を考えない、あるいは
望まない事です。

多くの人は「第三の目」を開くと神通力なるものを得られて、自分の人生を劇的に変えられるのではないかと、妙な期待感を持つようですが、そのような特殊能力などありえません。

例えば、生まれつき幽霊が見えたりするような能力は、
あくまでも生まれつきの体質のような能力であり、
後から突然得られた、などと言う特殊な霊的と言われる能力は、
間違いなく動物霊などの悪霊にとり憑かれて起きることなのです。

人間は自分の意志を認識出来るようになってから、死ぬまでの間、
常に何かを「選択」し続けます。
この「選択」をする際、自分にとって最も良いと思われるものを選ぶわけですが、
人生経験が長くなるほど、色々な経験を元にして選ぼうとしてしまいます。
ところが、その「経験」は本当に意味あることなのでしょうか?

たとえば、以前に消費期限の過ぎた物を食べて食中毒を起こしてしまったから、
今回は気を付けよう、と言うような経験は、もちろん意味のある経験です。

けれども、人間関係とか仕事とか、物、場所などを選ぶ時には、「経験」はそれほど役に立たないことがあります。
また経験に頼り過ぎると、うまくいかない事もあります。

誰でも経験があると思いますが、何かをしよう!と思った時や、普段何気ない時に、
フッと、一番最初に、非常にかすかに、「こうしたらいいかな」と思う時があります。
でもあまりにも淡いと言うか、ほとんど記憶に残らないような考えなので、
その場の雑事に追われて忘れてしまったり、経験的に「やっぱりこうした方がいいかな」
と思い直したりして、最初のひらめきを無視してしまいがちです。

ところが、それこそまさに「正しい直感」と言うことが多々あります。
その最初の「直感」あるいは「第一感」とでも言う考えは、
肉体の経験から積み上げた選択ではなく、「自己の魂の選択」とでも言うべきものなのです。

たとえば、初めて会った人の印象が、何となく違和感を感じたけれども、
話している内に、なかなか良い人だと思ってきて、最初の印象を退けたりすることは多々ありますが、一度「良い人」と言う思いをインプットしてしまうと、
何か自分にとって不都合があったり、おかしいな、と思うようなことがあっても
自分の思い違いかもしれない、となかなか正しい判断をすることができなくなり、
最悪の場合は詐欺にあったりすることもあるでしょう。

だからと言って、すべてを最初の印象で決め付けてしまうと、
融通の利かない人間になってしまいますから、そのあたりはバランス良く
行動することが重要だと思います。

つまり、おかしいなと思ったら、用心しながらお付き合いをすれば良いですし、
最初は良いと思っても、何度も会っている内に何となく、おかしいな、と言う違和感を感じたら、またそこで用心していけばいいわけです。

直観力とは、人生に於ける様々な局面で、
自らを危険に陥れないための防衛本能のようなものです。

ある意味、ロスを少なくして生きていければ、精神的にも肉体的にも
大きなダメージを受ける事無く、楽しく人生を送れるのではないでしょうか。

けれども全く失敗が無い、と言う人生もつまらないですし、
そのような人は「他人の痛み」に無関心になりがちですから、
失敗もまた、自分自身の成長の糧として、早く立ち直ればいいことです。

少し話がそれましたが、普通の人は「縦目を開く」と言うようなことはどうでもいいことであり、直観力を重視して、人生を楽しく、明るく生きていくことに専念すれば、
実は縦目が開く事につながるのです。

よく修験者や坊さん、近頃は一般人が修行と称して荒行や座禅などやっていますが、
あれは「百害あって一利無し」です。
修行などしても悟りも何も得られない、と言うより、悪霊を得るだけです。

「悟り」が何なのか、私には定義できませんが、
少なくとも一般家庭の主婦であっても、誰であっても、
自分の仕事を一生懸命している時や一生懸命生きようとしている時、
「何か」を感じる事が出来るのだと思います。
それぞれの人の「何か」がその人の「悟り」と言えるのではないでしょうか。

夫は一般の人とは異なった特殊な能力を持っています。
けれども彼は「この能力には責任が伴うよ」と言っています。
つまり闇雲に、「貴方の前世は○○だ」とか「貴方には先祖の霊が憑いている」などと
安易に言い散らかすのは、無免許にも拘らずその人を車に乗せて
暴走しているようなものだと言います。

きちんと目的地に、安全に送り届ける事ができてはじめて、
霊的な事をその人に告げる事が出来るのだと言えるでしょう。

自分の意志で楽しく、明るい人生を生きて行きましょう!

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最終更新日  2009年06月26日 00時30分08秒



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