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陰陽師と式神と私

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2010年09月09日
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9月9日は私達夫婦の結婚記念日です。

9月9日は重陽の節句でもあり、陰陽道では1年の内で陽の気が最も極まる、
大変縁起の良い日でもあります。

陰陽師の仕事の内、暦の作成がありますが、旧暦(太陰暦)の暦には
毎日、様々な吉凶を著わした内容が書かれていました。

ところが明治新政府によって近代化政策の下、旧暦が廃止され、
新暦(太陽暦)に変わったため、江戸末期まで陰陽師たちが作成した暦も廃止されたのですが、今まで毎日の吉凶が記されていた暦から、ただの数字の羅列のような新暦の暦になって、
すっかり庶民は暦に対する興味が薄れてしまったそうです。

そこで何とか暦を売りたいと考えた人が、六曜を暦に取り入れたところ、
多くの人がまた暦を買い始めたのだそうです。

つまり日本人がやたらと曜日の吉凶を気にするのは、
明治以前、陰陽師たちが作成してきた吉凶をたくさん書き込んだ暦に慣れ親しんで、
何を為すにも、陰陽道に基づいた方角や曜日などの吉凶を確かめてから
行っていたと言う事実があるからです。

しかしながら、明治以降に書き込まれた六曜は、陰陽道では全く見向きもされななかった
意味の無いものですから、現代の暦に書かれた六曜を充てにする事は、単に気休めとしかいえないでしょう。

また数字の内、陰陽道では陽数を重要視します。

現代では奇数・偶数と言う言い方をしますが、
陰陽道では奇数のことを陽数、偶数の事を陰数と言います。

9と言う数字は陽数の内で最も大きな数字であり、これ以上はありません。
ですから9月9日とは陽の数字が重なる日と言うことで、重陽と言います。
この陽数が2つ重なる日は最も縁起の良い日となるわけです。

そこで、私達夫婦は結婚式を挙げるのに最も相応しい日であるとしたわけです。

そして、私達の結婚式・披露宴はかなりユニークなものになりました。
二人ですべての段取りを考えましたので、ちょっとご紹介させていただきます。

平安時代と現代を融合させたイメージで行いました。

もちろん、結婚式は神前結婚です。
借りた場所には祭壇がありませんでしたので、
知合いの神主さんに出張依頼して、祭壇を組んで、伶人(雅楽奏者)を呼んで、
本格的に結婚式の神事を執行していただきました。

ちなみにご祭神は伊耶那岐命(イザナギのミコト)と伊耶那美命(イザナミのミコト)、
天照国照彦火明櫛玉饒速日尊(アマテルクニテルクシタマニギハヤヒノミコト)と
三炊屋媛(ミカシキヤヒメ)の四柱の神さまに御降臨頂きました。

そして披露宴は『露顕(ところあらわし)之儀』としました。
露顕とは平安時代の公家の結婚披露宴のことです。

平安時代、明治時代と現代を融合させて、現代風にアレンジを加えた、
他に全く類を見ない、すべて私達オリジナルの披露宴を行いました。

露顕の式次第は次の通りです。
一、沓抱(くつかかえ)之儀
一、新郎新婦参進(入場)
一、開宴の辞
一、新郎挨拶
一、ご媒酌人様ご挨拶 
一、三献之儀(乾杯) 
一、国歌『君が代』斉唱(二回)
一、御会食・ご歓談
一、新郎新婦お色直し
一、蒙古人歌手のリサイタル 
  「美しき草原我が家」内モンゴル歌曲
  「蘇州夜曲」東宝映画「支那の夜」挿入歌
  「天津慕情」
一、ご来賓の御挨拶
一、舞楽「蘭陵王」
一、『水師營の會見』唱和
一、新郎新婦謝辞
一、万歳三唱 
一、閉宴の辞
一、新郎新婦退下(退場)

『沓抱之儀』とは、新婦の父親が新郎の浅沓(あさぐつ)を捧げ持ち、大切に扱うことで、娘を幾久しく大切にしてもらいたいという、新婦の父親の願いと夫婦関係の永続を願った儀式で、現代風にアレンジして行いました。

『三献之儀(乾杯)』とは、簡単に言えば乾杯なのですが、私達夫婦は乃木神社の例祭に参列しておりまして、例祭の直会で行われるものを取り入れて行ったものです。
音頭を取ってくださる方に合わせて二度、御製を詠んで、一拍手をして、一献。
それぞれの御製を詠んで、繰り返します。

一、明治天皇 御製
受けつぎし 国の柱の動きなく 栄えゆくよを なほいのるかな(一拍手第一献)

一、昭和天皇  御製
ゆめさめて わが世を思ふあかつきに 長なきどりの 声ぞきこゆる(一拍手第二献)

一、今上陛下 御製
いにしへの 人も守り来し日の本の 森の栄えを 共に願はむ(一拍手第三献)

もちろん新郎新婦は平安装束を着けました。

新郎は布袴(ほうこ)です。
「布袴」は本来、指貫(さしぬき)の古い呼び名で指貫はそもそも、布、つまり麻などで仕立てられたカジュアルな袴だったので、そう呼ばれました。
布袴は主に「聟執(むことり)」(結婚式)や神社参拝、四方拝(しほうはい)のような私的な晴の行事に用いられました。
そしてお色直しで狩衣に着替えました。

新婦は五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬも)つまり十二単です。
美しいグラデーションを見せる袖口の衣(きぬ)の重なり。あでやかな唐(から)衣(ぎぬ)にかかる長い黒髪。優雅に後ろに流れる裳(も)と長袴(ながばかま)・・・。宮廷を華麗に彩った女性たちが活躍した平安時代に生まれた女房装束、いわゆる十二単はいつの時代にも女性の憧れの的です。
髪型は垂髪(すいはつ)、つまり長く伸ばした形です。
お色直しでは袿袴(けいこ)と言って、十二単の一番上に重ねている唐衣と裳を取り去った形です。

3年前の9月9日も、今年と同じように前日か前前日に大型の台風が関東に大接近して、
穢れを吹き飛ばす事ができまして、当日は抜けるような青空でした。

結婚式

今年で結婚3年目、革婚式です。

これからも夫婦で日本再生の為、頑張って参ります!






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最終更新日  2010年09月10日 01時53分19秒



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