カテゴリ:カテゴリ未分類
久しぶりに電車に乗って帰宅した。座っていると、お決まりのアナウンス、「携帯電話の使用はやめて下さい」。
隣に座った、ぼくから見てあまり趣味のよくないマニキュアをした指で携帯と戯れている女性はそのアナウンスを意に介するなにもない。 扉の前に座った男もずっと携帯を操っている。 聞こえないのだ。聞いても聞こえない。見ても見えない。ここには社会はない。 要するに、孤独が、糸の切れた凧のように浮遊している。 その命令に「服従せよ」と、ぼくは考えているのではない。その「命令」も、糸の切れた凧のように浮遊している。 ここからは、どんな反抗も生まれ得ない。どんな連帯も生まれ得ない。 気をつけ!前にならえ!これも意味の無い「命令」だが、もしかして、そこには肉声のかすかな屈辱を含んだ呼びかけがきこえるよう感じもする。それに「服従」するわけではないが、そこには「反抗」を促すようなものがまだある。 携帯電話は控えてください、という命法は「服従」と「反抗」からあたうかぎり無縁の「命法」である。そういう意味で、この現代を象徴する。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 1, 2003 10:07:44 PM
コメント(0) | コメントを書く |
|