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十年前の鹿児島の豪雨による災害のことについて久保さんがそのhpに書いている。そして今日広島の被爆から58回目の年である。こういう記念日は重たい。とくに後者の記念日は、それを追体験する資格がおれにはない、と思いがちだから、よけいそうだ。
天災と戦災は全く異なる次元の出来事だ。しかし、戦災を天災のように感ずる人もいるし、天災を戦災のようにとらえる感受性もあるだろう。人のなすことが自然の報いを受けているのかも知れないし、自然のなすことが人知の報いを受けているのかも知れない。自然もその沈黙のなかで大いなる災いを企むし、人も果てしないおしゃべりの頽落のなかで大いなる災いを自ら招く。 市民主義的な努力が無効だといいたいわけではない。その様相も随分変化した。「生き残る」というミニマムな次元から、自然も人間ももう一回問い直されなければならない時代が今だと思う。 隣家からいただいた月下美人の花。数時間で見事に、無惨に萎れた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 6, 2003 10:25:23 PM
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