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詩人たちの島

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October 15, 2003
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先日、拉致被害者の地村夫妻の手記をもとにしたドキュメントを放映しているのをテレビで観た。24年ぶりに彼らが帰国したのは去年だった。

「生きていれば」という思いに集約される日々。しかし家族はまだ再会できない。この夫妻が、自分たちの「拉致」を「戦争」の結果によるものであり、その犠牲の一つであると手記に書いているのを読んで、一番この人たちが自分たちの位置を正確にとらえているのだなあと感じ入った。

そして、「日本国政府」という言葉が幾度となく手記には出てくる。このように突き放した形で「日本国政府」を、日本をとらえているということの重さを、彼らを支援するといいながら政治的に利用するにすぎない、そういう部類の連中はどう見ているのかとぼくは思った。

戦後シベリアに抑留された石原吉郎は、シベリアでの強制労働に服した悲惨な8年あまりの年月を支えていたのは「まがりなりにも自分たちが日本の戦争犯罪を償っているという自覚だった」という意味のことをどこかで書いている。しかし「興安丸」で帰国して、父母のいない故郷に帰ったとき、そこで長老の親戚から言われたのは、おまえが「赤」でないことを証明せよ!という無惨な一言だった。そこで彼は永久に故地を捨てる決意をし、二度とそこに帰ることはなかった。自分のシベリアでの経験の意味を、独自に問い直すつらい生がそこから始まったわけだ。復興期の日本との決定的な違和が彼を精神上の「シベリア」に再び抑留したと言ってもさしつかえない事態がそこに起こった。石原の仕事に敬意をはらいつつ言うのだが、それはとても「不毛」な生であると思う。

このようなことが地村夫妻には起きないことを願う。彼らの「誠実」さは疑えないものとしてある。それだけ石原吉郎が陥ったような「隘路」を歩む危険なしとは言えないからだ。つまり、時代はことなるが、一種の「違和」を彼らこそありありと見つめているのだ。

「戦争」をまだ生きているのだ。






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Last updated  October 15, 2003 10:22:13 PM
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