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昨日を今日、書くのはやめた。「書く」ことが、日々の営みの底から出てこないものであるなら、そのときは「書かない」ことに帰着するしかない。今日は今日のことを書いて、明日に出て行くべきだった。
今、倉田さんと両吟の歌仙を掲示板で巻いている途中だが、後戻りするということが、すべての今までの世界(風雅?)をぶちこわしてしまうということ、そういうことをつたないなりに実際に句作してみて、よくわかった。 ―たとへば歌仙は36歩なり。一歩もあとにかへる心なし。行くに従ひて心のあらたまるは、ただ先へ行く心なればなり(三冊子)― とか ― 一巻表より名残りまで、一体ならんは見苦しかるべし(去来抄)― などの 言葉はたんに俳諧のみならず、人生の機微をも言いあてているような気がしないでもない。拘泥すること、執着することもときには必要だが、文台ひきおろせばすなわち反古なりという覚悟で「書く」ことに向かう必要が、この私にはある。そのような覚悟で、言葉に向かい合ったことがあったかしら? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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