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寛容と書いて「ひろかた」と読む。その寛容さんが、歌会のために鹿児島から上京した。
寛容さんの高校時代からの友人のひぐまさん、ひぐまさんを通じてネット上で寛容さんの書くものにほれ込んだ二人の中高年、すなわち小説を書く木村和史と詩を書く私banの合計四名で歓談し酒を飲んだのであります。昨日のことでした。 寛容さんはその名の通りの人でした。自由でエスプリにも満ちている、話していて楽しい人。最近めったにこんな人に会うことがないので、私の鬱屈した心もすぐに融けていきました。 残り少ない人生の時、こういう人と話すことができたのはとても貴重なことです。 会って疲れる人、楽しくもないのに酒をのまなければならない人、自慢話ばかりする人、私はもううんざりです。 寛容さん、ひぐまさん、木村くん、楽しい時間を恵んでくれてありがとう。 紺侘助 ぺこさん苦心の撮影 御僧に門の雪掻く忌日かな 探梅に走せ参じたる旅衣 ぬかづいてねぎごと長し花の雨 蒼海の浪騒ぐ日や丘椿 白妙の菊の枕をぬひ上げし 谺して山ほととぎすほしいまま 常夏の碧き潮あびてわがそだつ(琉球を読める句 十三句のひとつ) 爪ぐれに指そめ交はし恋稚く(琉球を読める句 十三句のひとつ) 今日は杉田久女の忌日。上の句は久女の句。昭和21年、享年56歳。太宰府の県立筑紫保養院にて。 「久女入院時の年は56歳である。いずれにせよ立派に自我が完成し、娘の成長に血のにじむ思いをして母の務めを果たし、一時期には、不世出の天才女流の名を俳壇にうたわれた彼女が、ホトトギス除名と共に命をかけた俳句の道がふさがれて以来、彼女は既に生ける人ではなくなったのである。長年性格を異にして軋轢をつづけてきた夫とただ二人、戦争中の苛烈な生活をやむなくされた彼女として、56歳の年齢は、耐えよというのも無理ではなかったか。」(平畑静塔) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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