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昨晩は久しぶりに家族三名で片倉の「カラオケ美術館」なるところで一時間半歌ってきた。息子は浜田省吾、私は河島英伍、妻は「涙そうそう」、その他、井上陽水などを歌いまくる。ひたすら歌うことでストレスを発散する。面白うてやがてかなしき鵜舟かな、の感慨もなきにしもあらずだが、仲良くたまにはこうして歌うことで家族の絆を実感することもいいものである。もう一人の長女は今アメリカで働いているが、彼女もここにいたら歌うだろう。わざと演歌などをこぶしをきかせてやるだろうなどと想像すると涙腺がゆるむことにもなる。
どんな人間もなにか欠損をかかえて生きているものである。完全な充足や幸福に恵まれているように見える人でも、外からはわからない不満もあるのにちがいない。その欠損に足をとられる過ぎるとルサンチマンの感情が身をさいなむ。そういうときが私にないとは言えない。みじめさ、不信、絶望、…。 でも充足にいたらないからこそ、充足を求めて生きていくという平凡な真理に立ち返ることで自らを励まして生きるしかないということも確かなことだ。この目も眩むような世界の広大さ、そこで生き悩んでいる60億余の人々の一人であるということ。Worldlyな名声などに恵まれなくとも、日々を自分なりに充足を目指して生きればいいじゃないか? ケリーさんみたいにBring it on!かかってこいと叫ぶ自信はさらさらないが、たまには歌いながらそう叫んでもいいんだよ。 by peco's botanical gardens 木瓜咲くや漱石拙を守るべく 漱石 寺町や土塀の隙の木瓜の花 漱石 木瓜を描くこれ以上濃き赤の無く 菅原独去 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 7, 2004 10:02:18 AM
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