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森口豁の本「沖縄 非武の島の記憶「(凱風社・1999)を読んでいる。
沖縄復帰一年後の1973年5月「オートバイにまたがった沖縄出身の青年が猛スピードで東京・永田町の国会議事堂正面ゲートに衝突して即死した。頭蓋骨骨折、脳挫傷、多発性肋骨骨折という無残な死であった」。 青年の名は上原安隆(享年26歳)。復帰前の沖縄民衆の最大の「反米」の怒りの一つとして記憶されるべきコザ騒動の、いやコザ暴動の数少ない被疑者として「逮捕」された(なにせ五千人もの人々が立ち上がったのだ、そのなかで特定されたということは不運につきる)。そのあと神奈川に出てタクシーの優良な運転者として過ごす。 そしてこの「突撃の日」が来た。そう感じたのは森口さんのそれまでの生き方であり、思想であったが、私はまったく森口氏の感性と思想に同意する。わざわざこの復帰1年後のこの日を選んで、タクシードライバー上原安隆は「死の抗議」を敢行したのである。欺瞞に満ちた復帰、そしてたぶん欺瞞に満ちた己の生への。 森口さんの同書によれば、事件はつぎのように報じられたという。「事故?自殺?ナゾの暴走・国会正門に激突死 沖縄出身の安全運転手」(朝日) 「衆院正門に体当たり・スピード狂か 単車80キロで即死」(読売) ここから森口さんの疑問が生まれ、取材が始まった。 上原君はその下宿に一本のギターと高橋和巳の「孤立無援の思想」一冊を残すのみで、遺書の類はなかったという。 彼が育ったのは沖縄の喜瀬武原(キセンバル)。そこで彼の双生児の兄に取材した森口氏の本には、弟が激突したときのヘルメット、そのヘルメットに残る衆院の鉄柵の筋が刻まれた写真が掲載されている。この本のこの章のタイトルは 死の抗議 キセンバル・レクイエム という。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 25, 2004 12:26:03 AM
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