カテゴリ:essay
“But let’s not be stupid together”。Susan Sontagが残した言葉というタイトルでリービ英雄が今日の朝日新聞に書いたコラム(「時流自論」)を読んだ。静かに心に残るいい文章だった。
ニューヨークには都合三回行ったことがあるが、01年の9・11以来の旅行はない。この都市の全貌を自分の印象に刻んだりする暇もないほどの駆け足の滞在であった。それでもこの町の抽象的としか言いようのない空間が好きだ。一番好きなのはニューヨーク市立図書館だ。歩きつかれた足をいつもここで休めた。ナボコフの回顧展をここで見ることができたのは偶然とはいえ望外の喜びだった。 スーザン・ソンタグも、03年に亡くなったサイードもここに住んだアメリカを代表する知識人だった。 ―2003年に他界したエドワード・サイードが、彼の定住の町となったニューヨークのことを「すぐれて、亡命者的な都市」と呼んだのも思いだした。「アメリカの代表的な知識人」2人が、アメリカという大陸国のどこにもないような、批評を大切にする、アスファルトで舗装された島で生活をしていた。2人とも、アメリカ合州国の中の他のどこの場所でも、その壮大な批評を展開しながら生きることは不可能だったかもしれない、…と考えた。… 「双子の塔」と呼ばれていたその高層ビルが、2001年9月11日に倒された。マンハッタンのスカイラインに、黒いすきまがあいた。その直後に、被害者たちを思って「一緒に喪に服しましょう」、しかし、その破壊の原因については「一緒にバカになることをやめましょう」と書いてアメリカ中から罵声を浴びた「スーザン」の本が、「スーザン」が客にもなっていたその本屋に置かれた。― 「その本屋」とはリービ英雄が90年代に入った「大都会の一角なのにもの静かな横丁が、同じようにさほど高くない並木が連なる横丁と交差する。その角」にある「小さな本屋」のことである。大都会の喧騒のすぐそばにこういう静かな横丁があり、本屋があり、そこでは店員が教授風の客に「昨日スーザンが来たわ、いま彼女はユーゴ問題で大変ですって」というような調子で「さりげなく」話が交わされる場所。ニューヨーク市立大学の界隈にこういう場所があったことを私は思い出した。娘がチェスの盤と駒を買いたいというので、二人で歩いて急に静かな場所に出たのだった。一つの店をのぞくと、そこは販売もやるが対局場でもあった。日本の将棋や囲碁の会場とは違って静謐な雰囲気が漂っていたのを思いだす。そういう場所のどこかに、小さな本屋はあるのだろう。そしてどんなにスーザンがバッシングを受けようとも彼女の本を平然と「さりげなく」陳列するだろうし、リービ英雄のいうように確かに9・11直後にそこには「置かれた」のだ。 リービ英雄はつぎのように書く。 ― …そこでは、その地で生を受けた者たちでさえ、あたかも亡命者のように伝統から切り離されていて、今についての認識が鮮明である。 マンハッタンの南端近くの、かつては「双子の塔」のかげにあった、静かな横丁の小さな本屋に、「スーザン」という客は姿を見せなくなった。そして、幼少時のパレスチナの記憶を抱えてマンハッタンの道を歩いていた亡命批評家もいなくなった。ソンタグの死とサイードの死によって、あのマンハッタンのIQは1点も2点も下がった。何かの抑制が効かなくなったという感じが、その分、さらに深まった。 膨大な権力に、ことばを武器にして対抗する批評そのものが、世界が批評を最も必要としている時代に、弱まった。 21世紀の破壊の、その原因については“But let’s not be stupid together”、「しかし一緒にバカになることはやめましょう」ということばが、マンハッタンの、その破壊の現場のすぐ近くで、書かれた。 もしかしたら「スーザン」自身が想像していた以上のインパクトをもって、そのことばが今、残るのである。― NHKと、ある種の政治家は一緒にバカになっている。教育委員会は一人でバカになっている。官僚と政治家は昔から一緒にバカになっている。ブッシュとコイズミもバカ仲間だ。一緒にバカにならないと「非国民」だ、…。こういうときにこそ批評、「膨大な権力に、ことばを武器にして対抗する批評」が、ここトウキョウという巨大な政治的アパシーの都市でも待ち望まれているのだろうが、マンハッタンよりももっともっとIQが低いのはいかんともしがたい。こういうつまらない感想ではなくて、今日はひさしぶりにリービ英雄氏の文章を読むことができてよかったということを書きたかったのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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