カテゴリ:essay
書かなければいけない詩があって、その数行を書いたのだが、いやに理屈っぽい。気分転換したくて、谷川俊太郎詩集(ハルキ文庫)を読み出したらやめられなくなってしまった。
先日、八木重吉の記念館を訪ねたが、その重吉の短い有名な詩の引用から始まる谷川の詩があった。 間違い わたしのまちがいだった わたしのまちがいだった こうして 草にすわれば それがわかる そう八木重吉は書いた(その息遣いが聞こえる) そんなにも深く自分の間違いが 腑に落ちたことが私にあったか 草に座れないから まわりはコンクリートしかないから 私は自分の間違いを知ることができない たったひとつでも間違いに気づいたら すべてがいちどきに瓦解しかねない 椅子に座ってぼんやりそう思う 私の間違いじゃないあなたの間違いだ あなたの間違いじゃない彼らの間違いだ みんなが間違っていれば誰も気づかない 草に座れぬまま私は死ぬのだ 間違ったまま私は死ぬのだ 間違いを探しあぐねて (谷川俊太郎『日々の地図』より) 完璧すぎる。八木重吉の詩がかわいそうになるほど。と思うが、読み返してみると、この詩は浅いというような思いが湧いてくる。そこで重吉の絶唱が立ち上がるとも言える。その両方に思いを致して創ったのなら、谷川はやはり天才であろう。 ちょっと、ずるいかもしれないが、谷川の詩を贈ることで「がんばってこいよ」という私の気持にかえよう。「明日」イギリスはバーミンガム大に留学のために飛び立つ、私の教え子、後藤拓也のために、谷川俊太郎の「明日」という詩を。その一部を。 明日 …(略) ひとつの小さな願いがあるといい 明日を想って 夜の間に支度する心のときめき もう耳に聞く風のささやきや川のせせらぎ ひとつの小さな夢があるといい 明日のために くらやみから湧いてくる未知の力が 私たちをまばゆい朝へと開いてくれる だが明日は明日のままでは いつまでもひとつの幻 明日は今日になってこそ 生きることができる ひとつのたしかな今日があるといい 明日に向って 歩き慣れた細道が地平へと続き この今日のうちにすでに明日はひそんでいる (谷川俊太郎『魂のいちばんおいしいところ』より) きみには幼稚すぎる詩かもしれないけど、「初心」や「心ざし」というものは、こういう感情に存し、そこから、湧き出してくる以外はないと思う。来年のさらなる成長を期待しています。(物騒なニュースなどが生憎伝えられて、心配しているが、心配してもしようがない。きみの生きる力の強さを信じ、幸運を祈っている)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 10, 2006 11:48:15 PM
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