カテゴリ:ニューヨーク通信(湯浅ましほ)
水島先生、
二週間ほど前、19世紀末に建てられた tenement houseの並ぶ道を通りました。アッパーイーストサイドとは言っても、戦後までドイツやハンガリーの移民の多く住んでいた、セントラルパークよりイーストリバーに近い、Yorkvilleにはこういう古い建物が、ファッショナブルな建築家や、高価なインテリアデザイナーの手に触れることなく、残っている所があります。薄汚れた白い壁、壁を飾るフルーツバスケットやリボンのリリーフ、その壁に揺れる街路樹の影。小さな窓、その向うにある人々の生活、その向うにあった人々の生活。日曜の午後、買い物の帰りの回り道です。 その慎ましい町並みに、パイプオルガンを練習する音が響きます。Tenement houseの上の青空に、赤い鐘楼が聳えています。テラコッタと煉瓦の教会は、ニューヨークには珍しく、道から離れた敷地の奥に建てられていました。門にかかる二枚の大きな鍛鉄の扉は、広々と夏の庭に開かれています。オルガンの音に誘われて門を入ると、夏の終わりの鬱蒼とした庭の奥の教会の扉も、また広々と開かれています。門の横の立て札には、「どうぞ中に入って休んでください。祈ってください。」と書いてあります。石段を上がり、聖人や預言者をリリーフにした扉を通り、冷たく暗い教会の中に入ります。高い天井は、黒い樫で幾重もの弧を成すように造られています。その天井に届く鮮やかなスティンドグラスの窓が、十字型の教会のすべての壁を飾っています。その窓の幾つかは、満ち溢れる、秋を思わせる光に開かれています。そこから、夏草の匂いを運んでそよ風が入ります。若い女の人が、パイプオルガンのキーボードの前に座っていました。右手で数小節を弾き、左手で数小節を弾き、時にはためらいながら、ときには探るように、それから大きな決意でもしたように、楽譜のはじめから両手で通して弾きます。しばらくすると、納得がいったとでも言うように楽譜を裏返して次の部分に移っていきます。わたしもベンチに座って、そよ風とスティンドグラスに遊ぶ光を楽しみました。パイプオルガンの音は荘厳です。神の声、天国の歌を思わせます。それを練習する音は、謙虚にも人間の音です。 そばのベンチには、ホームレスが二人、黒い毛布に包まって、身じろぎもせずに横たわっていました。 今年も、春と夏が駆け足で通り過ぎていきました。セントラルパークの桜、Tenement houseの壁を薄紫の滝に変えたYorkvilleの藤、ペンシルバニアの森の中の陽だまりに咲く石楠花、エリーの青く果てしない湖、エリー湖沿いにバッファローまで続くぶどう棚の銀色に光る葉と金色の花、パークアベニューの高級アパートの前の打ち水をした早朝の歩道、そこに咲くハイビスカス、ハドソン川の川岸に揺れる水引と吾亦紅、....弟と過した五月の一日、隣の6歳になる坊やの初めてのサッカーゲーム、芝生に出した長いすに座って友人夫妻と見送ったエリー湖に沈む夕日、友達と行ったいくつものブロードウェーのショー、....会社の合併、統合、買収、上場、息をつく間もない仕事、....思い返せば、ひとつひとつ、ささやか幸せの瞬間ではありましたが、じっくりと味わう暇も無く通り過ぎてしまいました。今の不穏な時勢についても、ゆっくり考える時間もなく、暮らしています。イスラエルにいるお客さんが、二ヶ月ほど前、 “This is a disaster.” と電話で繰り返し言ったのを時々思いますが。もうすぐ、ニューヨークに来て一年になります。来週は近所の消防署の前の歩道が、5年前にワールドトレードセンターで亡くなった9人の消防士のための花束でいっぱいになるはずです。 新学期、先生も御身お大切にお過ごしください。 ましほ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 5, 2006 08:05:02 PM
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