詩人たちの島

2006/09/11(月)20:54

From New York-September 2006

ニューヨーク通信(湯浅ましほ)(11)

水島先生、 毎朝、地下鉄の駅に向かう私は、消防署の前を通ります。サイレンの音高らかに、消防車が出て行くところによく行き合わせます。クラクションをせっかちに鳴らしながら、マンハッタンの通勤ラッシュを縫って走る消防車の、よく磨かれた金属に朝日が反射します。車が静々と戻って来る所を通りかかる事もあります。静かな朝には消防士は車を磨き、機具の手入れをしています。おずおずと近づいて行く小さな男の子の頭を撫ぜた後、消防車を見せている消防士を見かけることもしばしばです。この消防署の外壁に、五年前、ワールドトレードセンターで亡くなった9人の消防士の写真が飾ってあります。 今朝、私の教会で、消防士のミサがありました。2000人を収容する大きな教会が、紺の制服の消防士と家族で一杯になりました。この人達をひとつにする、共通の悲しみを分かち合うことのできない私は、教会堂の後ろの隅に腰を掛けました。 Amaging Graceの合唱でミサは始まりました。 “Amazing Grace, how sweet the sound . . . .” ダニエルの12:1-3、詩篇23、パウロ12:1-2、9-18、ヨハネ12:24-26と、追悼式にふさわしい聖書の朗読が続きます。神父様のお説教はダニエルの12章第三節で結ばれました。“. . . and they that turn many to righteousness [shall shine] as the stars for ever and ever.(また多くの人を義に導くものは、星として永遠に輝くでしょう。)” 教会堂後部の高いオルガンロフトでテナーが独り、グノーのアヴェマリアを甘く、悲しく歌います。私の前には50代の夫婦が座っていました。消防士は頭を抱え、肩を震わせています。妻は制服の背中を幾度も幾度もさすっていました。私の斜め前には、静かに二人のキャプテンが座っています。その一人が、何度も眼鏡をずらしては目頭を押さえていました。私の後で讃美歌を歌う声がむせび泣きに終わるのを聞きました。私の横には、若い夫婦が、赤ん坊と四歳くらいの女の子を連れていました。赤ん坊は、よだれに濡れた笑顔を周りの者に、だれかれと無く向けます。 家族や友人をなくした人の悲しみ、五年前の地上の地獄を生き延びた者の苦悩、あの日、息子、夫、または父が生きて戻ってきた者の感謝、その息子、夫、そして父を毎日危険な仕事に送り出す人の祈り。聖餐式のためのワインとパンを祭壇に運んだのは、まだ若い未亡人と可憐な三人の娘でした。末の子は五年前、5歳だったと聞きます。“. . . . and He will raise you up on eagles’ wings, bear you on the breath of dawn, make you to shine like the sun, and hold you in the palm of His hand.(神はあなたを鷲の翼に乗せ、曙の吐息とともに天に導くでしょう。神の加護の元に、あなたは太陽のように輝くでしょう。)” 聖餐式に歌われた讃美歌の、このリフレインが心に残ります。この人達のなくした英雄たちの魂が、朝日とともに訪れる上昇気流に乗って、ゆるやかに弧を描きながら、高く高く鷲のように舞い上がっていく、そんなイメージがいまだに悲しむ人を慰めたかと思います。近くに座っている消防士と握手を交わしながら、この人達が、毎日家族の元へ戻って行けますようにと、私は祈りました。後ろに座ってむせび泣いていた消防士は、小山のように背も高く、肩幅も広く、堂々とした人でした。その人の差し出した手は、とても大きく、強く、優しい手でした。ミサが終わって外に出ると、何台もの消防車がパークアヴェニューの澄んだ秋の空気の中にきらめいていました。この週末、ニューヨーク市中の教会、シナゴーグ,モスクでこのような追悼式が行われています。 今、メトロポリタン美術館の静かな一部屋のベンチに腰を掛けて、今朝の印象を思い返しています。私の前には、 Hatshepsut女王が座っています。思えば、彼女がエジプトを支配していた頃から3500年間、地上に平和が存在した事は無かったとも言えましょう。不安、悲しみ、絶望は人間の負わなければならぬ重荷なのかもしれません。そして、その悲観すべく世の中に生きるのにもかかわらず、赤ん坊の笑顔に、秋の澄んだ空気に、慎ましい日常生活に、幸せを見出すことができるという、ある意味での愚かさが、人間の救いなのかもしれません。 最近、私の親友からemailが届きました。彼のお嬢さんが、一月に赤ちゃんを産む予定だと言うのです。 私の筋向いのアパートに住むそのお嬢さんを訪ねてニューヨークに来る時、私にも会いたいと言う手紙でした。そのお嬢さんは、五年前、ワールドトレードセンターで働いていました。お嬢さんが無事とわかったのは、あの日の夜更けでした。一人娘の安否のわからなかった彼と彼の妻の、あの恐ろしい一日を思い出します。そして、一月に生まれてくる新しい命のために祈ります。 ましほ  (2006年9月9日) (メモ) ちょうど、9・11の今日、ましほさんから感動的な通信が届きました。何回もくりかえして読みました。「悲観すべく世の中に生きるのにもかかわらず、赤ん坊の笑顔に、秋の澄んだ空気に、慎ましい日常生活に、幸せを見出すことができるという、ある意味での愚かさが、人間の救いなのかもしれません。」のところ、もっとも感動しました。「悲観すべき」かもしれませんが、原文のままにしておきます。 わたしも、あなたの親友の娘さんの、生まれてくる新しい命のために祈ります。 それにしても、人間とはあなたのいう「愚かさ」を分かち合うべく、この地上にくり返し「生まれる」もので、それだからこそ尊いのだと思います。 すばらしいお手紙ありがとう。

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