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詩人たちの島

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March 20, 2007
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カテゴリ:essay
Now the moon is almost hidden
The stars are beginning to hide
The fortunetelling lady
Has even taken all her things inside
All except for Cain and Abel
And the hunchback of Notre Dame
Everybody is making love
Or else expecting rain
And the Good Samaritan, he's dressing
He's getting ready for the show
He's going to the carnival tonight
On Desolation Row
(lyrics by Bob Dylan)

ひぐま氏が掲示板に書き込んでくれたBob DylanのDesolation Rowの一節。今、iTunesに入れ込んでおいたこの曲を聴きながら書いている。「善きサマリア人」の一句がなんとなく気にかかる。このDesolation Rowの住人ということだろう。

聖書(ルカによる福音書)に出てくる有名な話だが、ユダヤ人から蔑まれていたサマリア人が、強盗に身ぐるみはがれて半死半生のまま道に捨て置かれたユダヤ人を救ったという話だ。通りかかったユダヤの祭司とレビ人はこの傷ついた男を助けなかった。彼らが敵のようにして憎んでいたサマリア人の旅人こそがこの男を助けて、宿屋に運び入れ、お金までおいて、立ち去ったというのである。このエピソードはある律法学者がイエスを試そうとした問い、「先生、何をしたら永遠の命が受けられましょうか」の答えとしてイエスがたとえ話で説いたものである。

「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」とあります。
「あなたの答えは正しい。その通り行いなさい。そうすれば、いのちが得られる。」
祭司は「では、わたしの隣り人とは誰ですか」とイエスに訊ねる、その答えとしてイエスが出したのが「善きサマリア人」である。岩田靖夫著「ヨーロッパ思想入門」(岩波ジュニア新書)によれば、サマリア人とは、

―汚れた人間として、ユダヤ人から排斥されていた人々である。彼らはもともとはユダヤ人と同じ民族に属していたが、紀元前8世紀にアッシリアに侵略され捕囚民として拉致された後、異教の影響を受け、正統ユダヤ教から離れた人々であった。だから、ユダヤ人はサマリア人を軽蔑し、触れるどころか、口をきくことさえ避けたのである。―
正統ユダヤ教の律法学者の問いにイエスは、彼らの忌避するサマリア人こそ、汝の善き隣人であるということを告げたわけである。岩田靖夫は、なぜユダヤの祭司はこの男を助けなかったのかということについて「律法を守るもの」は「身体障害者、病人、死者にふれてはならない」というタブーがあったからであり、だからイエスは、この話で「律法を守る人々の非人間性を暗示している」と述べている。そして最終的に岩田靖夫はこのたとえ話の意味を次のようにまとめている。

―この話は疎外された人間が疎外された人間に、見捨てられた人間が見捨てられた人間に、近づくという話である。そして、愛はそのような人間同士のあいだで生まれる。なぜなら、他者の苦しみを感受し、それを共に担いうるためには、自分自身が苦しむ者でなければならないからである。―

ボブ・ディランの歌とは関係のない話になってきた。このDesolation Rowの詩は、ひぐま氏も感嘆しているように、とてもとてもフォークシンガーの詩などといってすまされるものではない。場面の変化、イメージの斬新さ、どこを切り取っても一流の詩である。その終りのあたりに、つぎのようなスタンザがある。

“Which Side Are You On?”
And Ezra Pound and T.S.Eliot
Fighting in the captain’s tower
While calypso singers laugh at them
And fishermen hold flowers
Between the window of the sea
Where lovely mermaids flow
And nobody has to think too much
About Desolation Row

日本の歌謡曲にEzra Pound と T.S.Eliotが出現することは金輪際ありえないが、Bob Dylanの曲では当然のようである。ここに使われている言葉はまったく「現代詩」のそれである。「船長の塔」とか「海の窓」などという言葉、カリプソシンガーたちがパウンドとエリオットの喧嘩を笑うというのも面白い。しかもこれが歌になるとまた全くちがう魅力を発揮する。

パラノイアのような文章になってきたが、ある種の抵抗感をもとめて壁をかきむしっているうちに何かが出てこないかという目論見だが、抵抗の無さに終わるしかない。要するに空虚さを見出しただけである。K樹くんが「芭蕉のごとき半生を」と励ましてくれたが、そういう帰結ももちろん夢見ないではない。

そこにいくまでにもう少しもがいてみよう。善きサマリア人がドレスアップしてショーにでかける、カーニバルにでかける、ように。





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Last updated  March 20, 2007 10:21:54 PM
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