442893 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

詩人たちの島

詩人たちの島

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
May 31, 2007
XML
カテゴリ:essay
 倉田さんが、5月の終りに素敵な詩の一節を送ってきてくれた。この一編はどこで読めますか?もしかしたらいただいた幾冊かの詩集のなかにあるのでは?


短調よりも長調の曲のほうが好きになってきた
心の密林から救われたいからじゃない
そのほうが悲しみがより高い気がするからだ

きらめく葉に満ちた五月の木のしたを歩くのが好き
人生を終えるならこの季節に死にたい
かぎりなく青い空のもとにただひとつ置かれたベッドの うえで
かすかに流れてくる「Let it be」へ別れを告げながら
 (後略)
(「マイ・フェイバリット・シングス」1995・8)

 
 こういうように言えたら、という思いが痛切に湧くとともに、暗い「心の密林」のなかを最後まで彷徨するしかないのか、などとも思ってしまう。振り払う気力がないのだ。じめっとした「悲しみ」がいつまでもつきまっとている、それがぼくの5月の正体だ。

 この生きづくりにされたからだは
 きれいに しめやかに なまめかしくも彩色されている
 その胸も その唇も その顔も その腕も
 ああ みなどこもしっとりと膏油や刷毛で塗られている
 やさしい5月の死びとよ
 わたしは緑金の蛇のやうにのたうちながら
 ねばりけのあるものを感触し
 さうして「死」の絨毯に肌身をこすりねりつけた。(朔太郎「五月の死びと」)

 このねばりけのある「死」のイメージのなまなましさはまたどうだろう。「緑金の蛇」は生と死のヤヌスの暗喩である。

 流動する蛇のような生と死、再生と死を繰り返しながら、そのエネルギーはいつまでも衰えることがない。そのイメージはしかし、「こすりねりつけた」という能動の動詞とは逆に、そうであるように強いられている生と死の悠久のイメージの片端を感じさせもする。負であるものが奔流のように放電されると、それは愚かにも権力に篭絡されていると見えつつも、それを打ち砕く閃光を放つ、そう言ってもいい。

 「死」を篭絡することが不可能であるなら、「生」もだれも篭絡できない。「緑金の蛇のやうにのたうつ」ものを、きみのこころの密林に住まわしめよ、そこはあまりにもさびしいから。これは私自身に向って命じているのである。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  May 31, 2007 09:43:11 PM
コメント(4) | コメントを書く
[essay] カテゴリの最新記事


PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

蕃9073

蕃9073

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

船津 建@ Re:Die schlesischen Weber(シレジアの職工)(05/25) 引用されている本にはかなり重大な誤訳が…
名良橋@ Re:言挙げせぬ国(01/04) YouTubeで虎ノ門ニュースをご覧下さい 自…
http://buycialisky.com/@ Re:これでいこう(04/05) cialis vs viagra pros and conscialis so…
http://buycialisky.com/@ Re:鼓腹撃壌(12/25) cialis alcohol efectoscialis 5mg tablet…
http://buycialisky.com/@ Re:横浜遠足(04/30) what do cialis tablets docialis typeson…

Freepage List


© Rakuten Group, Inc.