カテゴリ:essay
潮からブコウスキーの映画の話の情報を送ってもらっていたが、昨日かの夕刊にマット・ディロンがチナスキーとして主演している映画評が朝日新聞の秋山登という、いつもの面白くもない批評を書く人だが、その人のが出ていた。そうですか、という感じ。最近は、何だか、すべて、この世の所業が、遠くの星での出来事のように、どうでもいいように見える。こちらが一種の人間離れを起こしつつあるのかも知れない。
ブコウスキーの名が上がるたびに、それにつれて「興行」のように何かを喋る「英文学者」「翻訳者」などが出てくる。ブコウスキーに限らないが、だれでも「商売」にしようとするし、「商売」になるのだろうが、彼らに一々応接する気力も体力もない。もっとも、この国においては、いまだにブコウスキーに対して「酔いどれ詩人」などというクリシェが話題になるのだとしたら、この国の詩や文学の世界などというのが、それだけ息苦しく、禁酒論者たちの集りということなのだろう、どうでもいいことだが。 昨晩のすさまじい雷雨のあと、今日はなんとか涼しい一日を迎えることができた。一日の涼しさだけだというが、みょうに昨日までの炎暑がなつかしくなるのはどうしてだろうか。すべてが燃えている地獄のような世界に慣れると、そこから離れ難くなる。この涼しさが「欺瞞」のように思える。 久しぶりにディランを聞いている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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