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ヨシフ・ブロツキー(Joseph Brodsky)にWATERMARKというタイトルのベニスを舞台にした、というよりベニス、ヴェネツィアが主人公としか言いようのない美しい詩的散文がある。どこを開いても、その絢爛たる博識と、様々な生の経験の透かし彫り(watermark)が思わぬ遭遇の水脈(watermark)を演じ、それがヴェネツィアの運河にたゆたっているという感じの文章だ。音楽!疲れているとき、あてもなくページを繰る。今日は、 十七年前に、どこへ行くという当てもなく、ただ広場(カンポ)から広場を水に漬かりながらぼくは歩いていた。ぼくの緑色のゴムのブーツが、なぜか小さなピンクめいた色の、建物の入り口でぴたりと止まった。壁には小さなプレートがかかっていて、そこには「早産で生まれたアントニーオ・ヴィヴァルディ この教会で洗礼を受ける」とあった。その頃、ぼくはまだかなり赤毛だったから、偶然とはいえ、あの「赤毛の聖職者」が洗礼を受けた教会にぶつかったということで、少しセンチな気分になっていた。ヴィヴァルディは、それまでいろいろな機会に、この荒涼とした世の中のいろんな所で、言いようのない喜びをぼくに与えていてくれたからだ。そしてこの町で初めてヴィヴァルディ・ウィークを開くのに一役買ったのが、確かオルガ・ラッジだったことまで思い出した。第二次大戦が勃発する数日前のことだったらしい。誰から聞いたのか忘れたのだが、それはポリニヤック伯爵夫人の館(パラツツオ)で催されたということだった。そのときミス・ラッジは、ヴァイオリンを奏いたという。曲を奏き始めてしばらくして、一人の紳士が、サロンの中に入って来るのを、彼女は目の片端で捉えた。席がなかったので、その紳士は、ドアのそばに立っていた。曲はとても長かった。そして奏く手を休めずに楽譜のページをめくらなければならぬところにさしかかって、彼女は少し動揺し始めた。目の片端にいた男は移動して、まもなく彼女の視野から消えてしまった。問題の小節が迫ってきて、彼女の神経はますます高ぶってきた。そしてちょうどその頁をめくらねばならぬ所にさしかかった時、左の方から、見知らぬ手が、突然さっと伸びると、楽譜のページをゆっくりとめくるのだった。彼女は演奏を続けた。そしてその難しい小節が終わったときに、彼女は感謝の気持ちを伝えようと、左のほうに目を上げた。「そしてそれこそ」、オルガ・ラッジがあとでぼくの友達に語ったところによると、「ストラヴィンスキーとの、最初の出会いだったのよ」 (金関寿夫 訳) という所が目についた。オルガ・ラッジはエズラ・パウンドの終生の愛人だった女性と註にある。たまたまヴェネツィアに滞在していたスーザン・ソンダクとブロツキーの二人で彼女の家に招待され、そこでのエズラをかばうオルガとユダヤ人であるスーザンの論争の場面なども記憶に残る一節だが、ここでのストラヴィンスキーの水際立った登場の鮮やかさも素敵だ。ヴィヴァルディの音楽がずっと耳に鳴り響く。それに水の都、ヴェネツィアを歩き回る、これももう一つの水の都、ペテルブルクを追われた亡命者ブロツキーの姿が重なる。そこでまた、極東の水の都、大阪の道頓堀の雑踏でモーツアルトのト短調のシンホニーが鳴るのを聴く、わが秀雄の姿も重なる。こういうことを思い浮かべるとき、彼らには関係の無いひとりの安逸さを喜ぶ自堕落のなかに埋没し、ぼくは眠くなるのである。それでいい。多分。