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2007.10.24
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カテゴリ:考察
必死に修行に打ち込む若い僧に老僧は問うた。

「修行をして何になるのか?」

「仏となるためです」

「で、仏となって何になるのか?」

「仏となって民草を救うのです」

「で、それが一体何になるのか?」

「……」


仏教の面白いところは、説も逆説も無いというところです。
「禅問答」と言いますが、「禅問答」には答が無いのですね。というのも禅問答は問うた者と問われた者の真剣勝負であって、双方が仏法への直観を示しあう修行だからです。
正反対の答えを出してもそれが仏法に適っていれば良いのですし、過去の模範解答を答えたところでそれは直観しているとは言えません。

さて、上記の問答に対する私の解釈ですが、まず前提として「仏になる(悟る、解脱する)」とはどういうことなのでしょう。
仏教は「諸行無常」「色即是空、空即是色」と考えます。となれば「仏になる」という考えそれ自体が矛盾を孕んでいると言えそうです。つまり「仏になる」という考えは即ち煩悩であり、そう思っている限りは「仏にはなれない」と言えるわけです。
「仏となって民草を救う」とは良い事じゃないか、と思われるかもしれません。
ですが「救う」ということは現在は「救われていない」状態にあると考えているということであり、それはお前の勝手な思い込みではないか、仮に「救われていない」としても「救う」ために「仏になる」必要があるのか、真に「救われていないから救わねばならない」と思うならば、いても立ってもいられず町に飛び出していくのではないか、そうしないということは「救いたい」と思っていないのではないか、第一「仏になる」「救う」といったことをお前は理解して言っているのか、「仏になる」という考えそのものが矛盾なのだぞ、という問いであると解釈します。

で、これがどう標題に繋がるかというと、「仏になりたい」というのは自己承認、自己肯定の欲求だからです。上記の問答では、そもそもそんなもん、オメーの煩悩だろとちゃぶ台を返しているわけですけど。
宗教というのは「神」を他者に見立て、人は罪深いものであるぞ、ゆえに信仰して救いを求めなさいと迫ってくる。しかもご丁寧に、こうすれば信じたことになると数々の戒律までプレゼントしてくれるわけです。
宗教に戒律が必要である理由、そのうちの一つは確実に、信者に信教への達成感、自己承認感、自己肯定感を味合わせるためにあると考えられるのです。
人間何をしてもいいよと言われると不安になります。宗教はその不安に対し、丁寧に枠を用意してくれて、こうすれば良いんだよと手を引いてくれる。そして上手く出来ればよく出来たねと誉めてくれるのです。
ですがニーチェが言ったように、残念ながら「神は死に」ました(ちなみに仏は死んでナイ。仏はそういうものを超越したところにあるからです)。
東洋で哲学がイマイチ発達しなかった理由、それは龍樹(ナーガルジュナ)が空論によって仏教哲学をとりあえず完成させてしまったからだと考えます。つまり、仏教が二千年前に確立した哲学に西洋は近代になってようやくたどり着いたってことです。

長くなりましたので、とりあえずここまで






Last updated  2007.10.24 22:32:27
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