― R ’s Bar ― 癒し系バーの威圧系バーテンダーのつぶやき・・・
ベートーベン (1770~1827) 父の酔態を見ていたためか、酒を飲みすぎることはなかった。 『オーストラリア人は、黒ビールとソーセージがあるうちは 革命を起こさないだろうと私は思います』 1792年の晩秋、ベートーベンは生まれ故郷の小村ボンを後にした。 目指すは音楽の都ウィーン それから2年、そろそろピアニストとして頭角をあらわし始めた1794年8月2日付けで、 ベートーベンはボンの友人に次のような手紙を送っている。 『こちらでは重要人物が大勢逮捕されました。革命が勃発するのではないかとうわさされてます。 でも、オーストリア人は、黒ビールとソーセージがあるうちは革命を起こさないと私は思います・・・。』 フランス革命に続くナポレオンの侵攻で、当時のウィーンは大きく揺れていた。 そんな中、ビールとソーセージさえあれば明るく快活になれる文化都市ウィーンの民衆の雰囲気は、 ベートーベンのうちに潜む厳格で几帳面なドイツ人気質に、少々違和感を伴って映ったのかもしれない。 それでも、一杯の酒がしばしば人の気持ちをやわらげてくれるのは、紛れもない事実。 ベートーベン自身、夕刻には、ジョッキ一杯のビールや、 まろやかな甘味のハンガリーのトカイ・ワインを好んで飲んでいたという。
ベートーベン (1770~1827) 父の酔態を見ていたためか、酒を飲みすぎることはなかった。
『オーストラリア人は、黒ビールとソーセージがあるうちは 革命を起こさないだろうと私は思います』