堀眞五郎の死闘
「糞ったれぃ!どいつも、こいつも、
屁のつっぱりにもならぬ!」
長州の堀は、今や清水谷の右腕、参謀である。
東へ西へ、自ら戦陣の隊に渇を入れ、
急遽きびすを返して、奔走した。
しかし、早馬が入り、
息を切らした伝令兵の
報告を聞くなり、
・・・・
ついに爆発した。
「なにっ!福山の腰抜け共、
ぬけぬけと、取り逃がしただと?
使者、人見を逃がしたとな?馬鹿野郎共め!」
吐き捨てるようにそう言うと、彼は、再び馬を走らせ、清水谷の詰める函館府に
急行、引き返していた。
体勢が不利となり、浮き腰の清水谷公考ではあるが、京都以来、長州志士を
影で支えた若い公家である。もともと、彼は、いわば担がれて押し出されたようなもの。
「副」の座に名は確かにあったが、本来TOPではなかった。そもそも、箱館府知事の座は、
いざとなると、皆余所ゝしく逃げ出したからだ。事の発端は、仁和寺宮嘉彰親王が箱館裁判所
総督拝命を辞退したため、こうなった。
清水谷は、学に秀でており、諸外国の脅威による蝦夷の危機を早期に建白した。
その事実が、こうなると災いしたとしか言いようがない。考えようによっては、
いわば逆に白羽の矢を立てられたようなものだった。
堀はそれらの経緯から、人が影で噂するほど、清水谷に冷ややかな心を秘めてはいなかった。
血腥い戦ともなれば、清水谷は武士ではない。公家なのだ。安全な場所へ早急に逃がすことに
なんら依存はない。
堀は急遽、清水谷の脱走手配を計った。ところが、速攻で動ける段取りができたのは漁船。
清水谷にゴネられた。小型の漁船で冬の津軽海峡、命の保障はない。恐ろしかったのだろう。
さすがに苛立った。
「梅吉!プロシアの連中は何を考えておる!出船の回答はまだか!」
彼は、この苛立ちを忠実な従者、山田梅吉に、当り散らして、怒鳴りまくった。
この段階で、長州志士、堀の怒りは頂点に到達していたのである。
峠下の戦以来、榎本軍は、さらに進軍速度を速め、ぐいぐいと力ずくで、
箱館に攻め寄ってくる。
「堀殿、明後日で、ござります。十月二十五日、確約御座候。」
プロシアの船なれば安全である。そうと決まれば、じっとしている場合ではない。
その途端、堀の即決即断が出た。
「梅吉!急げ!今、ただちに仕度をせよ!
いざ、出陣じゃ!我に付き従え!」
峠下の報に頭に来た堀は、 大野、七重に陣を築かせ、迎え撃つべく対処済みだ。
しかし、もう、堪忍袋の緒が切れた。
彼は、もはや、いても立ってもいられない。
「所詮、腰抜け共など、何人おっても同じことじゃ!
・・・福山も農兵共も、松前同様、なんの役にも立たぬ。
やつらになどに、もはや、任せてなどおれぬ。
今に見ておれ!目にもの言わせてくれるわ!」
堀はまたしても、駿馬に鞭打ち、七重の陣に駆けた。