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2012/11/04(日)15:51

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徳川歴代と枝葉(223)

ド狸大合戦IN京都,徳川の皇族作戦,2代将軍_徳川秀忠考察No.7,人物像と事象,五女和子を後水尾天皇に入輿の展開,TOP(サイトTOPは犬猫サイト)<幕末玄関<人物名から追跡<徳川絡み「家光は実父「秀忠」に愛されてなかった!特集」<(現在シリーズ)「2代将軍_徳川秀忠考察」 _2代将軍_徳川秀忠考察_No.7「徳川秀忠」人物像自動修復装置付、サイボーグマシン、情に流されない・・・に至る迄推移徳川の血を皇族に!作戦_その3初めから読む:No.1<前頁から読む:No.6■二代目将軍_秀忠、勝ったつもりが、やられた!・・・狸合戦は、以外や以外、後水尾天皇に軍配が!!和子の生んだ女児「興子内親王」は、即位して「明正天皇」と名乗った。【ド狸合戦_その3】:徳川油断!愚かな休戦時期を過ごす!ここが、なかなかの、お公家さんパワー。徳川は、盲点!!やられた!と知らず、史実上、久々の女帝「明正天皇」のラインで、徳川構想を貫くべく、必死で、幼い「明正天皇」を育てる。その傍ら、「子作りの刑」から釈放された後水尾天皇は、天皇ならずや、今や、上皇の身。現役卒業。身も心もくたくた・・・はフェイントであった。徳川は、鬼になって、再び、ワンスモアプリーズを強制すべきであった。(和子さん限界でしょうが!長期戦ならば、いいが、短期決戦で、次から次は、作る側は良くても、産む側としては、たまったもんじゃない!!他にも産んでます。後述)やっとこすっとこ、ホーホケキョ。疲労困憊の後水尾天皇は、釈放された。自由の身となった「上皇」は、蝶よ、花よ。どこが、「身も心もくたくた」・・なもんか!生まれる、生まれる!もう、どうにも、止まらない!33人の皇子、皇女が、次々と、他所で産まれ続ける。御用済みの為、どこで作ろうが、かつてと異なり、「上皇」の身なれば、怖い侍の監視は、くっついてこない。徳川は、甘いな!!一応、お仕事をこなした功労なれば、これは、放置どころか、資金援助は、惜しまない。【ド狸合戦_その4】:盲点!キーワードは、「不文律」!ホクホク徳川。幼い女帝「明正天皇」よ、健やかに育て!早く成長して、大人の乙女になれ!ややっこしい政務の手腕なんぞ、期待してない。早く育って、早く、徳川の血皇族ファミリー網を、連鎖せよ!!願いは、ただひとつだった。ところが、ギッチョン!襲い来た現実!それは、盲点!不文律であった。皇族のやんごとなき古代よりの掟。不文律である。何人も侵すべからず、不動の掟。されど、不文律であった!!不文律とは、文字のとおり、明文化されぬ掟。されど鉄の掟。▼徳川が、一杯食わされた「不文律」とは、これだった!!女性が天皇になった場合、即位後、彼女は、終生独身を全うせねばならぬ!!古代よりの不動の掟!何人も侵すべからず!!即ち、折角、徳川が命掛けで育てた女帝「明正天皇」とは、子を産んではならぬ身だった!!お公家さん老獪バックアップチームが、ほくそ笑む。「所詮、徳川は、三河の田舎侍。無知も甚だしいわい!!」徳川の血交じりの天皇枝葉なんぞ、作られてたまるものか!後々途絶えぬでは困る!根絶の法則!皇室から、断固、徳川の血なんぞ、排除してやるぞ!おざまあみろ・なさいませ!(ざまみろ!とは、おっしゃらいでしょうから)家康どんの大発明「忍法!根絶やしの法則」とやら、我らとて、負けぬものか!!女帝「明正天皇(元:興子内親王)」は、1696年まで存命しているが、在位期間は短い。1629年から、1643年の間だけである。意味がなくなってしまったから。1623年生まれの彼女は、6歳から書面上の地位。だが、1643年、20歳でご引退。二代目将軍_秀忠、勝ったつもりが、やられた!・・・狸合戦は、以外や以外、後水尾天皇に軍配が!!【ド狸合戦_その後】:疲労困憊の徳川、細々、「傾向と対策」!和子さん(二代将軍秀忠の5女)は、本当にお気の毒。随分無理して、頑張りました。上記の話の中、登場する子供は、2人ですが、実は、まだ他にも産みました。休憩無し。明正天皇(元:興子内親王:1624(※)~1696:幼名「女一宮」、諱「興子」)明正天皇(1624※-1696)【(1624※)元和9年は1623年。和暦の12月事象は西暦で1624年。】元和9年11月19日(1624)~元禄9年11月10日(1696)在位:寛永6年11月8日(1629)~ 寛永20年10月3日(1643)。女二宮(女児:昭子内親王)(1625~1651):近衛家(五摂家)に降嫁高仁天皇の予定が夭折:(高仁親王:1626-1628:2歳天昇)二宮(男児:1627~1627):誕生後即時死亡、賀子内親王(1632~1696):二条家(五摂家)に降嫁他か、重複か(若宮、菊宮)夢敗れた徳川のアフターフォローは、細々ながら。明正天皇「興子」の妹達が、命綱。細いけれど。女帝が嫁ぐがタブーなれば、後の手段は、その姉妹。女二宮・賀子内親王が、上記のとおり、五摂家に降嫁した。二代将軍、徳川秀忠が考案した術は、ここに虚しい!!疲労困憊。子の和子に、これ以上無理させたでは、彼女は死んでしまう!!思わず、唇を噛む。NEXTは、暫し、長文が続きましたので、ここで一休み。No.1から、現在の頁No.7までの「おさらい」一望おまとめ表コースへ!▼二代将軍:徳川秀忠「親族親兄弟考察一覧表」TOP(サイトTOPは犬猫サイト)<幕末玄関<人物名から追跡<徳川絡み<(現在シリーズ):2代将軍_徳川秀忠考察(カリスマ家康の倅はサイボーグ)<No.1<・・<No.6<(現在頁):No.7<No.8・・・

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