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2007年08月18日
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カテゴリ:あおぞら研究所

先日途中で失礼していた「くいだおれ」記事の続きです。
時間が経ちすぎましたので、長くなりますが最初から書きます。

 大阪・道頓堀、(株)くいだおれ代表取締役会長・女将
                 柿木道子(かきのき・みちこ)氏

  『道頓堀発「おもてなしの心」 -挑戦と改革-』

 

「大阪名物 くいだおれ」創業者の次女として生まれた柿木先生。
大学卒業後1年間だけ「くいだおれ」に勤務。18年間の主婦業ののち、
体調思わしくない父(創業者)に懇願されて同社に復職するも、
経営のノウハウを教わる間もなく父他界。以来、シロウトが懸命に
勉強して“流行らぬ大食堂”(ご本人の弁)を再生された体験談でした。

道頓堀は、江戸時代より食べもの屋と芝居小屋のまちとして350年の
歴史があります。昭和24年、戦後の飲食店禁止法解除を待っての開店。
店頭には、子どもにも大人にも親しまれる赤・白・青のチンドン屋の人形を設置。
昭和27年、アメリカからテレビが輸入されると高額にも関わらず3台を購入し
店頭で大衆に披露。ところが、スイッチを入れても画面は真っ黒のまま・・
それもそのはず。まだ実験放送が始まったばかりで、週に1回数時間しか放送が
なかった時代ですから雫 それでも、ひと目テレビというもの見たさに連日
黒山の人だかりだったそうです。

こうして集客を図り食堂は繁盛、開業10年後には8階建てのビルを建て、
総合食堂を作ります。一般庶民の最高の贅沢が「映画を観ること」と
「ご馳走を食べること(外食)」だったころのことです。                     

その8階建ての総合食堂「くいだおれ」は、日本初の食堂ビルです。
このとき日本で初めて動く看板が登場します。
それが、あのチンドン屋の"くいだおれ人形"です。

「商売繁盛のためには、店の入口を賑やかにしなくてはならない」という
創業者のコンセプトに基づいて考案さ、人が人を呼ぶ効果を期待するものです。
のちに、周辺にはサニーの大好物然り、さまざまな動く看板が登場し現在に至っています。

しかし古き良き時代は永遠には続きません。
昭和45年の大阪万博以後、ファミリーレストラン等の外国から入ってきた
外食産業が盛んになり、専門店も増え、テレビの普及により芝居小屋が
流行らない、すなわち「芝居小屋と食べもの屋」の街・道頓堀が、
衰退していきます。当然、「くいだおれ」の経営も厳しくなります。

                           (下の記事へ続きますえんぴつ







最終更新日  2007年08月18日 08時01分26秒
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